新堂さんと恋の糸
 打ち合わせが終わり、最後に残った私は自分の持ってきた荷物や機材を片付けていく。

 「すみません、櫻井さんでしたよね」

 顔を上げると、一番に退出していたはずのクライアントの男性が立っていた。交換した名刺の名前を記憶から引っ張り出す。確か平尾さんという統括マネージャーだ。

 「はい、そうです」
 「今日の打ち合わせは、記事のネタに使えそうですか?」
 「それはもちろんです。同席させていただいたのも初めてだったので、とても勉強になりました。ありがとうございます」

 私はお礼を込めて返事をすると「こちらこそありがとうございました」と言って、右手を握手するように握られた。私は咄嗟のことで固まってしまう。

 (どうしよう……でも、ここでふりほどくのも失礼だよね?)

 思った以上にぐっと力がこめられていて、離すタイミングを逃してしまった。

 「櫻井さんはデザイン雑誌の編集者の方なんですよね?実は折り入ってご相談があったんです」
 「相談ですか?」

 私の動揺にはまったく気づかない様子で、平尾さんはにこやかに話を進めている。こちらが過剰に意識しているだけかもしれない。

 「よければ、御社の雑誌で今度うちのブランドの特集記事を組んでもらえませんか?」
 「えっ?あ、えっと…」

 (こ、これって営業?)

 「うちのブランド、おかげさまで若者には高い人気をいただいているんですけど、もう少し上の年齢層にも訴求したいなと考えているんです。そうなるとネットだけでなく、歴史のある雑誌媒体で取り上げてもらえるとありがたいなと思ってしまして」

 ……あ、なるほど。
 これは新堂さん的に言うといま私は『広告的観点からの課題を提示されている』と受け取ればいいのか。

 「そんな話をしても、彼女に決定権なんてありませんよ」

 上から降ってきた声は、先に会議スペースを出ていたはずの新堂さんのものだった。平尾さんも驚いたのか、握られていた手が一瞬で離れて内心ほっとする。

 「今年編集部に配属されたばかりだそうですから。一番下の彼女に相談するより、直接文董社に連絡したほうが確実です……よね、櫻井さん?」

 ――一番下って……!確かにそうだけど!

 「あの!弊社にはインテリアに特化した雑誌もあるんです。そちらは電子書籍化もしていて、御社のターゲット層やニーズにも合うと思いますので、一度検討してみてもらえたらと思っ――」
 「次もあるのでそろそろいいですか、櫻 井 さ ん ?」

 私の言葉は、新堂さんの怒気を含んだ声に遮られた。顔はうっすら笑みを浮かべているけれど目が笑っていない、というか怖い。

 「次の予定もありますんで。続きは文董社の代表番号に連絡して、正式にアポを取るのがいいと思いますよ」

 有無を言わさない新堂さんの圧に負けて口を噤んだ私は、平尾さんへの挨拶もそこそこに引っ張られるように会議スペースをあとにするしかなかった。

 
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