婚約破棄されたぽちゃOL、 元スケーターの年下ジムトレーナーに翻弄されています
悠貴と一緒に、ジムに戻ってきた。
ビル内の電気は消されていて真っ暗で、誰もいない。
今は何も考えたくなくて、黙って悠貴に連れられるまま館内を歩いていく。
エレベーターに乗って、七階のパーソナルジムのあるフロアへ。
いつも使っているトレーニングルームの脇にある扉を開けると、非常階段があった。
上へと続く階段を上っていくと、だんだん外の湿った空気の匂いがしてくる。
「……どこ行くの?」
「秘密。もうわかっちゃうけど」
言いながら悠貴が扉を開くと、そこはビルの屋上だった。
「わあ……」
広い屋上の一角には白いウッドデッキが敷かれていて、同じく白を基調としたガーデンテーブルとベンチが置かれていた。
周りには大きな鉢に植えられた植物や花が飾ってあり、等間隔に置かれたランタンが緑を照らす。
屋外にあるのにプランターや小物は綺麗で、まめに手入れされていることが伺える。
「テラス? こんなところあったんだ……」
「突っ立てないで座れば?」
悠貴は当然のようにウッドデッキに上がっていって、ベンチに座った。
勝手に良いのかな、と思いつつも私もベンチに軽く腰掛ける。
見上げると、星ひとつ見えない真っ暗な夜空に吸い込まれそうになった。
「星、見えないね」
「この辺は明るい建物が多すぎるからな」
「でも、落ち着くね」
ぼうっと黒い空を見ていると、それまでの怒りや惨めな気持ちがゆっくりと沈んでいく気がした。
もう怒る気も泣く気もない。
ただ、心が重い。
「何考えてるか知らないけど、ここにはそういうの引きずってくるなって言っただろ」
わかりづらいけど、きっと彼なりに気を使ってくれている。
だからここにも連れてきてくれたんだろう。
「無理にでも笑うとか、今はできないかな……」
「別に笑わなくていい」
「じゃあどうすれば?」
「堂々としてればいい」
半ば当たるように聞いた問いに、悠貴は間髪入れず答えた。
「瑠衣さんはちゃんと変わった、なりたい自分に近づく努力をしてる。近くで見てる俺はよく知ってる」
真っすぐな目でそう言われると、なんだか気恥ずかしい。
私はただ、悠貴に言われた通りに必死に体を動かしているだけだ。
「だから、誰に何を言われたって小さくなって下を向く必要はない。さっきだって胸張ってなにか言い返してやればよかったんだ」
「なんて?」
「……私バーベル20キロ上げられるようになりましたけど? とか」
真剣に言う悠貴がおかしくて、ついクスッと笑ってしまう。
「そんなマウント、向こうになんのダメージもないよ」
「いいだろ、誰も傷つかないマウント」
悠貴に笑わされたせいか、少し気持ちが軽くなった気がした。
堂々としていればいい、か。
あんな無神経な彼氏と付き合っていた5年間や、さっきあのふたりに笑われた嫌な事実はなかったことにもできないし、そう簡単に忘れることもできないだろう。
それでも、前を向いて頑張らなければ自分がかわいそうだ。
ベンチに座ったまま、軽く体を伸ばしながら周囲の景色を見回した。
「ここ、いいところだね。昼間なら海も見えそう」
「瑠衣さんはいつでも来ていい」
「屋上開放してたんだね?」
「いや、この場所は誰も知らない。本当は立ち入り禁止だから秘密にしといて」
「えっ」
驚いて、思わずベンチから立ち上がってしまう。
「禁止なの? ダメじゃん入ったら、早く出なきゃ」
「いいよ、瑠衣さんは特別。俺が許す」
「なにそれ、悠貴にそんな権限あるの」
「うん、俺偉いんだ。社長だから」
「ふふ、なにそれ」
突拍子もない嘘を吐くなんて、子供っぽいところもあるんだ。
冗談ぽく笑う悠貴に呆れつつも、いつの間にか心は穏やかになっていった。