婚約破棄されたぽちゃOL、 元スケーターの年下ジムトレーナーに翻弄されています
当初の目的だった、忘れていった財布を回収するためにロビーに戻ってきた。
奥にあるスタッフルームで保管しているということで、中に入らせてもらう。
悠貴が誰もいない真っ暗な部屋の電気を点ける。
スタッフさんたちのロッカーやデスク、備品が整頓され置かれていた。
所々にソファが置いてあったりして、自由なスタイルで仕事ができそうだと想像する。
「見つかって良かったけど、次から気を付けて」
財布を受け取って、中に会社のカードキーがちゃんと入っているのを確認する。
悠貴は私が財布を取りに来るのを待っていたらしい。
電話を取ってくれたスタッフさんに伝えた時間になっても私が来ないから、少し外まで様子を見に来てくれたそうだ。
「今日は色々ありがとうございました」
「なんで敬語?」
「あと、ごめんなさい。迷惑もかけて」
「別に、そこまでなにもしてないけど」
「でも、あんなたくさんの人の前であんなお芝居させちゃったし……恥ずかしかったでしょ」
多くの人がすれ違っていく横断歩道の真ん中で、悠貴が私の頬を優しく包んだのを思い出す。
「芝居?」
「うん、私を助けようとしてくれたんだよね」
「してないよ、本当に可愛い人にぶつかったと思ったら瑠衣さんだった」
「……ねえ」
「ほんとに遊んでほしかったんだけど」
「はいはいわかったから、もう冗談は終わり。大丈夫よ、ちょっと元気になったから」
屋上でのノリが残っているんだと思って、軽く受け流す。
「……じゃあ、どうして俺は瑠衣さんを助けようと思ったんだと思う?」
「え?」
真面目なのか冗談なのかわからないトーンで、悠貴は続けた。
「わかんない?」
「え、と……」
「さっき特別って言ったのと、おんなじ理由」
瑠衣さんは特別。
悠貴しか知らない場所。ほかの人は立ち入り禁止なのに、私はいつでも来て良いと言われた。
その理由はどうして?
……私のことが好きだから?
一瞬頭に浮かんだ答えを、急いで振り払う。
いくらなんでも、そんな勘違いはしちゃいけない。
悠貴は玲央の……弟の友達で、5個も年下だ。
そして、私たちの関係はただのトレーナーとお客さん、のはずだ。
「ねえ、どうしてだと思う?」
「さ、さあ」
ごまかしたのがわかったのか、悠貴はフッと笑った。
「わかったからそんな反応してるんだろ?」
ゆっくり近づいてくる悠貴に後ずさると、足がソファにぶつかった。
行き止まりだ。
彼の真意はよくわからない。
けど私の反応を見てからかって面白がる節があることは、この一カ月でわかったことだった。
どうしようと思っていると、ふいに足の間に踏み込まれた。
そのままあっけなくソファに押し倒されて、身動きが取れなくなる。
「知ってる?」
耳のすぐそばで声が聞こえて、ビクッと体が反応してしまう。
「瑠衣さん、俺が近づくとびっくりして固まる癖がある」
悠貴はクツクツと楽しそうに笑っている。
自分の着ているカーディガンに、悠貴のツルツルとした素材のウェアが擦れる音がいやに恥ずかしく感じた。
これ以上、遊ばれるわけにはいかない。
それに、いつもみたいにやられっぱなしも腹が立つ。
少し突き放してやれば、冗談だよとでも言って離れていくだろう。
「……もう、いい加減にして。悠貴には無理でしょ、こんな年上の女なんて」
それまで笑っていた悠貴が、ピクリと止まった。
ゆっくりと、目線を合わせられる。
虚ろなようでいて、一度見てしまえば心を掴んで離さない濡れた瞳。
――あれは誘ってる目だよね!
今日シャワールームで聞いた女の子の声が、頭の中で響き渡る。
「無理かどうか、試してみる?」
こんなはずじゃなかったと思った時には、右の首筋に甘く歯を立てられていた。