婚約破棄されたぽちゃOL、 元スケーターの年下ジムトレーナーに翻弄されています
会議が終わり、昼休み。
吉光さんと訪れたのは、会社から少し歩いたところに新しく出来たイタリアンのお店だった。
晴れていたけどテラス席では寒いので、奥のカウンター席に並んで座る。
気取らない雰囲気だけどこざっぱりしている、オレンジ色のインテリアとブラウンの木材を基調とした可愛いお店だった。
吉光さんに断ってから、ランチセットのトマトパスタとサラダの写真を撮っておく。後で悠貴に送るためだ。
「企画、試作に向けて動くことになって良かったよ」
「ありがとうございます。前にやった部署内での会議で、チームのみんなが色々意見を付け足してくれたおかげです」
プレゼンは成功して、企画は無事に次の段階に進むことになった。
これまで試作に行くまでに時間がかかることが多かったから、かなりうまくいっていることになる。
「まだ油断はできないけどね、良いもの作れるように僕もサポートするから」
「心強いです」
しばらく他愛のない話をしながら、本題に入るタイミングをうかがう。
お互いに半分ほど食事を終えた頃に、やっと覚悟が決まった。
「吉光さん、あの。先日は本当にすみませんでした」
「停電は白藤さんのせいじゃないでしょう。なにもなくて良かった」
「そうなんですけど」
悠貴に手を引かれてエレベーターに乗らなければ、レストランで食事はできなくても少なくとも吉光さんとは一緒にいることができたかもしれない。
それでも、今の私はあの場で悠貴に会ったことが間違いだとは思えなくなっていた。
「……本当に、すみません。私やっぱり、お付き合いや結婚を考えることができなくて」
「……うん」
「吉光さんが嫌なわけではないんです、吉光さんは素敵ですし、私にはもったいないくらいの完璧な方です」
「そんなことはないよ」
「いえ。ただ、私に問題があって」
「そんなこともないと思うけど」
吉光さんは落ち着いたまま、コーヒーを一口飲んだ。
「でも、フラれちゃうのはなんとなくわかってたよ」
「えっ。……あ、いや、フるだなんてそんな」
実際そうなのだけど、失礼な感じがして慌ててしまう。
それなのに吉光さんは微笑みを浮かべていつも通りなので、だんだん私も落ち着いてきた。
「なにか……態度に出ていましたか?」
「いや。白藤さんは完璧な後輩だったよ、礼儀正しくて素直で気が利く良い後輩」
「なら、どうして」
「だからかな。隙を見せてくれないというか……こんな言い方はセクハラになるかもしれないけど、女性としての顔を見たことがなくて。多分、白藤さんは僕にそういう気はないんだろうなって」
「……それなのに、お誘いを続けてくださったんですか?」
「うん、僕が君を好意的に思っているのは本当だからね。これから仲良くなっていければと思ってたんだ。でもお断りされた手前、無理に振り向かせようとはしないから安心して。……残念だけどね」
吉光さんは、どこまでも紳士的で優しい。
そんな彼に、私はもう一度「すみません」と謝ることしかできなかった。
「ひとつだけ、聞いてもいいかな」
「はい」
「白藤さんのこと、エレベーターに攫っていった男の子。あれ、知り合いだよね?」
ドキリとする。
何を聞かれるのか、グッと身構えてしまう。
「前にお話ししたジムのトレーナーで、あそこで会ったのは偶然だったんですけど」
「あの子のこと、好きなの?」
また、勢いよく心臓が跳ねた。
答えられない。
私自身、悠貴のことをどう思っていいのかよくわからないのだ。
あからさまに狼狽えてしまったのか、吉光さんは少し残念そうに笑った。
「そういう顔、僕にもしてほしかったな」
「……え?」
「なんでもないよ。いいんだ、白藤さんは真面目だから、たまには冒険してみるのもいいと思うよ。まだ応援するとまでは言えないけど」
「いや、彼とは全然そんなんじゃ――」
「さっきのプレゼンも、自信あって堂々としてて良かったよ。本当に変わったよね、白藤さん」
「それは悠貴の……彼のおかげかもしれません」
生意気かつ掴みどころのない悠貴だけど、彼の指導のおかげでダイエットも順調だし、自分のために頑張っていたら自信もついてくるようになった。
それに、プレゼンがうまくいったのは100パーセント悠貴のおかげだ。
ぼんやりと悠貴のことを思い浮かべていると、吉光さんが「ハルキ……じゃあやっぱりあの子は……」と呟く。
首を傾げると、我に返った吉光さんが納得したように頷いた。
「ああ、どこかで見たことあると思ったんだ」
「悠貴をですか?」
「うん、ビジネス雑誌で。あの子ってすごいよね、まだあんなに若いのに――」
と、言いかけた吉光さんを遮るように、彼のスマホが鳴り響いた。
「ごめん……、会社からだ。なにかあったかな」
急ぎの用だったみたいで、吉光さんは呼び出されて会社に戻ることになった。
彼はお金を置いていこうとしたけど、何度も押し問答をして私がご馳走する権利を勝ち取った。
元からそのつもりだったのだ。
吉光さんが行ってしまった後、ひとりでゆっくり食事をすることにした。
元スケーターの悠貴は、案外有名人なのかもしれない。
雑誌に載っていたというのも、いつの記事かはわからないけど元スポーツ選手ならあり得る。
――あの子のこと、好きなの?
そういう顔、僕にもしてほしかったな。
吉光さんの言葉が、頭で繰り返される。
私、どういう顔してたんだろう。
ホテルでのあの夜。
止まったエレベーターの中で、悠貴は私の幸せがなにかを聞いてきた。
答えられないでいると、彼は一緒に考えると言ってくれた。
それをちょっと嬉しいと思ったのは、紛れもなく本当の気持ちだった。