婚約破棄されたぽちゃOL、 元スケーターの年下ジムトレーナーに翻弄されています
第12話:「あの時と同じ。かっこよかった」
終業後、パン屋さんで悠貴と待ち合わせすることになった。
ギフト券をくれたのは悠貴だし、変に意識して断るのもおかしい。
私だって大人なんだから、勘違いしてしまいそうになっても余裕を見せて毅然としていればいいんだ。
エントランスから出たところで、今会社に戻ってきたらしい吉光さんとばったり会った。
「白藤さん、お疲れ」
「吉光さん、お疲れ様です。店舗の見回りどうでした?」
吉光さんとはその後も、先輩と後輩として良い関係を築けている。
引き際もスマートだったし、過度に引きずらない姿勢が本当にありがたい。
「うん、おおむね良かったけどね。販促物をもっと強化した方がいいかな」
「またディスプレイ用の食品サンプルも見直しましょう」
「そうしよう」
「あ、すみません引き留めてしまって」
「いやこちらこそ、気を付けて帰って――」
吉光さんが、なにかに気がついたように私の後ろを見て唇を結んだ。
何事かと振り返ると、そこには悠貴が立っていた。
黒いショート丈のダウンジャケットに、中はネイビーのハイネックニット。
そして細身のジーンズといったラフな格好で、完全な私服を見るのは初めてだった。
「なっ、なんでいるの?」
「迎えに来た」
さらっと言ってのけた悠貴は、吉光さんに愛想よく「どうも」と軽くお辞儀をした。
「どうも、こんばんは」
吉光さんもにこやかに笑ったけど、間にいる私はなんだか気まずい。
「じゃあね、白藤さん。楽しんできてね」
なにを勘違いしたのか。吉光さんが少し寂しそうに会社へ向かおうとした、その時だった。
「おい、瑠衣!」
唐突に、無遠慮に大声で名前を呼ばれる。
頬がヒク、と動くいたのが自分でもわかった。
5年も付き合っていたのだから、声は簡単には忘れられない。
少し前に連絡先を消し、着信拒否にしたばかりの元彼、和真がこちらに向かって来る。
まさか、会社に来るとは思っていなかった。
「お前なんで連絡返さないんだよ」
「もう関係ないじゃない……」
面と向かうと、強く言い返せない。
ただならぬ雰囲気を察知した吉光さんが、和真の前に出た。
「あの、どちらさまですか?」
「そっちこそ誰です? 瑠衣の男?」
「やめて、ほかの人に絡まないで」
吉光さんに突っかかろうとする和真を制止する。
「じゃあふたりで話付けないとな」
ついて来い、と和真は私に背を向け歩き出した。
私がついて行く気配がないのを感じ取ったのか、和真は振り返らずに「瑠衣!」と不機嫌そうに声を上げた。
彼は、そうすれば私が何でもすると思っている。
もう別れたはずなのに。
また和真に良いようにされてしまうと思うと情けなくて、私も思わず声を張り上げた。
「話すことなんてない!」
「……あ?」
「もう、あなたのことは好きでもなんでもない」
思い切って言ってしまって、心臓がバクバクしている。
吉光さんはこの状況をどうしようかと焦っているように見えるけど、悠貴は至って落ち着いていつも通り構えていた。
ふたりには、本当に申し訳ない。
ゆっくり振り返った和真が、こちらに近づいてきた。
すると悠貴が、私の隣にぴったりと並ぶ。
それが気に入らなかったのか、和真はスッと表情を冷たくした。
「お前、瑠衣のこと攫ってったやつだろ。なんだよ、そういう関係だったの?」
「だったらなに?」
淡々と吐き捨てた悠貴に、私が驚く。
なんで否定しないの?
売り言葉に買い言葉みたいな、ハッタリだよね?
和真はゆっくりと私の方に顔を向けると、ハッとバカにするように笑った。
「瑠衣、遊ばれてるよ。そんな若い男がお前なんかに本気になるわけないよなぁ」
ハッと息をのむ。
自分でも、そう思っていたからだ。
「え、なに。気づいてないの?」
和真がヘラヘラと笑い出す。
「服も化粧も若作りしちゃってさ。ぺったんこの靴はどうしたんだよ、足がむくむからヒールはやめたんじゃなかったのか?」
和真の言葉が、鋭く心に刺さっていった。
指摘されると恥ずかしくなって、隠れるように半歩後ろに下がってしまった。
「ちょっと痩せたからって勘違いしてはしゃいで、見てて痛いんだよ!」
氷水を、頭からかけられたみたいだった。
ダイエットを頑張って、少しずつオシャレもするようになって、自分が変われたような気がしていた。
そう思いたいのに、和真に否定されると何も言えなくなってしまう。
――私、やっぱりなにも変わってないのかも。
吉光さんが、和真になにか言いながら近づこうとしている。
動けないまま、どこか他人事のように大人しく見ていたその時。
隣にいた悠貴が、とっさに動いた。
ガッと鈍い音がして、気がついた時には、悠貴が和真の頬を殴っていた。
「……悠貴!」
もう遅いけど、慌てて悠貴の腕を掴んで止める。
悠貴は冷たい目で、頬を押さえる和真を見下ろしていた。
「痛い勘違い野郎はお前だよ」
「あ……?」
「瑠衣さんにまだ相手してもらえると思ってんのが、勘違いだって言ってんだ」
よろよろと姿勢を正した和真は、殴られたのにも関わらず強気にハッと笑って見せた。
悠貴が眉間にしわを寄せる。
「なに笑ってんだよ」
「納得したわ」
ひとりで愉快そうな和真がなんだか不気味で、もう悠貴が彼に向かっていかないよう、掴んだ腕をギュッと抱え込んだ。
「お前さ、スケートの暴力選手なんだろ?」
和真の思わぬ発言に、目を見開く。
「連れの女が言ってたんだよ、お前のこと見たことあるって。調べてみたら問題起こしてやめたスケーターらしいじゃん」
悠貴はなにも反論せず、静かに和真の話を聞いていた。
「どうせ今みたいに気に入らないヤツに手ェ出してきたんだろ、クズ野郎が」
そう言って和真が唾を吐き捨てた途端、私の中でなにかが弾けた。
前にも、スケーター時代の悠貴の噂は聞いたことがある。
悠貴がどうしてスケーターを引退したのか、真実はわからない。
実際、その話題には触れられたくないような態度も見せた。
それでも、私は確信していた。
「……悠貴はそんな人じゃない」
震える声を絞り出す。
「優しい人なの、私はよく知ってる」
掴んでいた悠貴の腕が、フッと力が抜けたのがわかった。
「瑠衣、お前そこまでバカだったか? 俺怒ってるのわからない? いいから大人しくついてこいって」
「やめて、もうあなたの顔色をうかがう私じゃない」
声が震えるのは、怖いからじゃない。
怒っているからだ。
私だけならまだしも、悠貴まで侮辱したのは許せなかった。
悠貴の腕を引っ張って、さっさとその場を後にしようとする。
「いいのか。俺を逃したら今度こそ行き遅れになるぞ、年相応に落ち着けよ」
負け惜しみのように、背中に向かって吐き捨てた和真を振り返る。
真正面に、しっかりと立ち向かった。
「痛いオバサンだって思われても良い。私は私らしく、今を大切に生きていくの!」
行こう、と悠貴に声をかけ腕を掴み、改めて歩き出す。
少し驚いているような、でもどこか微笑んでくれているような吉光さんに会釈をして、冷たい風を切って悠貴の腕を引っ張って進んでいく。
さっきまでの重たい気持ちはもうどこかに行ってしまって、私は今度こそ変われたような気がしていた。