婚約破棄されたぽちゃOL、 元スケーターの年下ジムトレーナーに翻弄されています
「ちょっとはしゃぎすぎちゃったね……」
「たまにはいいんじゃない」
悠貴を引っ張って、一緒にクリスマスツリーを見た後。
広場の先にあるお店を見て回って、串に刺さったぐるぐる巻きのソーセージや、顔より大きいプレッツェルを悠貴と分け合って食べた。
そして小腹を満たしてからは、ステージでやっていた催しを鑑賞した。
三十人以上で編成されたハンドベル演奏は圧巻で、軽やかなベルの音がまだ胸に響いているようだ。
食べるものも観るものも、私の日常にはないものばかりで心が躍った。
加えてどこか浮ついたふわふわした気持ちなのは、隣に悠貴がいたからかもしれない。
マーケットから離れていくと、だんだんとイルミネーションや賑やかさも落ち着いた雰囲気になってきた。
そのまましばらく歩いていると、少し遠くの方に大きなステージのようなものが見えた。
何人かの人がその上に立っている。
……というか、よく見るとすいすいと移動している。
少し近づいて、ようやくそれがスケートリンクだとわかった。
50メートルプールより一回り大きいほどのスケールだ。
クリスマスの装飾がされており、掲げられているサインボードを見るにこのクリスマスマーケットに合わせて設置された特設リンクらしい。
夜も遅くなってきたのでたくさん人がいるわけではないけど、人が少ない分のびのびと滑ることができて気持ちよさそうだ。
隣にいる悠貴が気になって、ちら、と顔を盗み見る。
彼は至って普通の表情でリンクの方を見ていて、なにを思っているのかは読み取れない。
スケートの話を嫌がることもあったけど、自分からしてくれることもあった。
避けて通るべきか、話題にした方がいいのか。
どうしたらいいかわからず黙って歩いていると、悠貴が前を向いたままたずねてきた。
「気になる?」
「え? あ、いや……」
「少し見てみるか」
迷いなくスケートリンクに向かって歩き出した悠貴に、慌ててついて行く。
滑っている人がよく見えるリンクと仕切りのすぐそばまで来ると、一気に空気がひんやりとした。
「結構寒いんだね」
「そりゃ氷だからな」
テレビで見るフィギュアスケートの選手は薄い衣装でもみんな優雅に滑っているから、ここまで寒いイメージがなかった。
眺めていると、ひとりで滑っていた小学1年生くらいの男の子がこちらに向かって大きく手を振ってきた。
すると隣にいた30代くらいの女性が、控えめに手を振って応える。お母さんだろうか。
微笑ましいなぁと思っていると、お母さんに手を振るのに夢中になった男の子がバランスを崩して尻もちをついてしまった。
「あっ」
思わず声に出てしまう。隣のお母さんもハッと息をのんだようだった。
しかし心配したのも束の間、男の子はすぐに立ち上がるとこちらに向かって照れくさそうに笑ってみせた。
その様子にお母さんもホッとしたようで、「気を付けなさいね」と声をかけてまた男の子を見守り始めたのだった。
「あの子、強い子だね」
そう言いながら横にいる悠貴の顔を見上げて、一瞬言葉を失った。
今までに見たことのないような顔で、彼が男の子の方を見ていたからだ。
優し気でいて、どこか切なさをはらんだ寂しそうな微笑。
これ以上見てはいけない気がして、そっと目を逸らした。
どうしてあんな顔をするんだろう。
悠貴は、またスケートをやりたくて懐かしんでいるのか。
それとも、もうスケートが好きじゃないのか。
彼に、なにがあったのか。
色々なことを考えてしまって、胸がざわつきだした。
スケートリンクを通り越して、もっと遠くにある景色を見てしまう。
海の向こうのビルの灯りや車のライトが、ぼんやりと暗闇に浮かんでいた。
「瑠衣さん」
ふと、悠貴がぼそりと口を開いた。
「ありがとう」
「……え?」
いきなりのことで、なにについてのお礼かわからず思考を巡らせる。
私がお礼を言うことは、たくさんあった。
一度ならず二度までも元彼から守ってくれたこと、一緒にクリスマスマーケットに行ってくれたこと。
だから、その逆は思いつかない。
「えっと……なにが?」
「優しいって言っただろ、俺のこと」
「……ん?」
「あいつに」
そこまで言われて、ようやく思い出した。
元彼が悠貴を貶めたのが許せなくて、「優しい人なの」と言い返した。
悠貴の過去は知らないし、本人が嫌なら無理に知ろうとはしない。
それでも今まで一緒に過ごした中で、元彼の言うように悠貴が誰かを傷つけるようなことをしたとは思わなかった。
「だって本当のことだから。悠貴は優しいよ、ちょっとわかりづらい時もあるけど……」
面と向かって言うのも少し恥ずかしかったけど、ちゃんと伝えておきたかった。
すると、隣で悠貴が困ったように笑う。
「やっぱ瑠衣さん、男見る目ないなぁ」
「え、なに。どういうこと」
「俺に優しいとか、そんなこと言うなんて」
冗談ぽく続ける悠貴に、ムッとしながら反論する。
「ちゃんと見てたらわかる。悠貴は不器用だけど、人を思いやれるいい子だよ」
「へえ、ちゃんと見ててくれたんだ」
「……うん」
「じゃあ、ほかは?」
「え?」
「俺のこと、どう思う?」
ほんの少し、微笑みをたたえた悠貴に見つめられる。
振り回されてばっかりだったけど、私がピンチの時や辛い時にいつも助けてくれた。
ふと見せる年下らしい可愛い部分も、私の心をくすぐって離さない。
――好きだと思う。
弟の友達だし、5個も年下だし、と彼への気持ちに気がつかないフリをしていた。
それももう、自分でも誤魔化せないところまで気持ちが進んでしまった。
ここでなにを言おうかわからないほど、情緒がないわけじゃない。
それでも、あなたが好きだと言えるほどの心の準備もできていない。
高鳴っていく心臓の音が、他人事みたいに遠くに聞こえる。
私はどうしたらいい?
そうぼんやり考えていると、背中に軽く衝撃を受けた。
すぐに「ごめんなさい!」と声が聞こえて、誰かがぶつかってしまったのだと気づいた。
そんなに強い力じゃなかったけど、突然のことで体がよろけてしまう。
「おっと」
当たり前のように、悠貴に腕を掴まれ支えられる。
「ほら、しっかり立って」
うん、と答えようとして、見上げるとすぐ近くに悠貴の顔があった。
もう大丈夫なのに、悠貴は腕を離してくれない。
近くの灯りが反射しているのか、静かにきらめく瞳にじっと見つめられる。
「悠貴?」
恐る恐る声をかけると、悠貴は我に返ったようにそっと腕を離した。
そしてさっきまでの静かな雰囲気を打ち消すように、明るい声で笑ってみせた。
「そろそろ行くか。明日も早いだろ」
少し戸惑いながらも「うん」と返す。
これ以上見つめ続けられていたら、息ができなくなっていたかもしれない。
甘い緊張の余韻を残したまま、私たちは帰路についたのだった。