婚約破棄されたぽちゃOL、 元スケーターの年下ジムトレーナーに翻弄されています
アンナさんが話してくれたのは、私が想像もしていないことだった。
悠貴の恋人かもしれないと思っていたのが、バカみたいに思えるくらい。
「今は母の実家のあるカナダを拠点にしているけど、五年程前までは日本で暮らしていたの。私自身もフィギュアスケーターで、引退してから初めてコーチとして面倒をみたのが悠貴だったのよ」
ジュニア時代から十年以上、悠貴を教えてきたということだ。
悠貴のことならわかる、というのも納得する。
「そう、だったんですね」
「あの子がスケートをやめてからも、たまに会いに行ったりしてたわ。そのたびに煙たがられたけど」
「あの、クソガキっていうのは……」
「生意気なのよ。例えコーチと選手という関係だとしても、恐縮せずに言いたいことは言い合えるオープンでフラットな関係でいましょうね……って方針だったのだけど。本当に遠慮せず何でもかんでも言いやがるのよ」
オープンでフラット。どこかで聞いた言葉だ。
表情を変えず淡々と話していたアンナさんが、口元を歪めてみせる。
あなたも覚えがあるでしょ? という感じだ。
確かに、思い当たる節はある。悪意がないのはわかるけど、ストレートに物を言いすぎるところがある。
それにしても、このどこか威圧感のある美女にズケズケと意見を言う悠貴は、簡単に想像できた。
「そ、そうなんですね……」
「そうよ、私の言うことなんて聞きやしない。だからこそ、瑠衣に頼みたいことがあるの」
「私に、ですか?」
アンナさんは深く頷くと、力強い瞳で私の目を見つめてきた。
「説得して欲しいの。彼が氷上に戻ることを」
「……え?」
それは、悠貴がまたスケーターとして活動できるということなのだろうか。
「悠貴は、またスケートをやりたがってるんですか?」
「……そうだと思うわ」
アンナさんが、曖昧な返事をするのは初めてだった。
そもそも説得しろということは、悠貴がそれに納得していないということなんじゃないか。
思えば、私は彼のスケートに関することはなにも知らない。
本人が知られたくないことなら、過去を無理に聞くこともないだろうと思っていた。
それでも、今の思いを聞いてみることぐらいはできたはずなのに。
クリスマスマーケットの帰り、一緒にスケートリンクをながめたことを思い出す。
微笑みながらも少し寂し気にリンクを見つめる悠貴に、なにか声をかけるべきだったのに。
どうしたの? それだけでよかったのに。
悠貴に一歩踏み込んで、前みたいに冷たい態度を取られたり、今の関係が壊れたりしてしまわないか怖かったんだ。
「悠貴は、スケートが好きなんですか?」
元スケーターなんだからそれはそうだろう、と思いつつも聞かずにはいられなかった。
私はそれすらも知ろうとしなかったから。
「滑ることは悠貴の生きがいだったの。言い方を変えれば、それ以外彼にはなにもなかった」
「なにもって、そんな」
「本気でスケートやってる人間は、みんなそういうものなのよ」
聞いた話では、悠貴はなにか理由があってもうスケート界にはいられなくなったということだった。
生きがいだった場所に戻れないというのは、どれほど辛いことなんだろう。
ずっと疑問だった、見ないフリをし続けたことをアンナさんにたずねる。
「悠貴はなぜ引退したんですか」
「……そう。そこまでは悠貴も話していないのね」
何気なく言われたことだったけど、ツキンと胸が痛んだ。
悠貴は私に、あまり自分のことを話してくれない。
「なら私も話せない。ただ、ひとつだけ言っておくわ」
アンナさんは顔を上げると、少し遠くの方を見た。
「悠貴は悪くない、私のせいなのよ」
「え……?」
「だからこそ、私がまた悠貴をスケート界に連れ戻さなければいけないの」
声色に強い意志をにじませるアンナさんに、私はこの人には敵わないと感じた。
恋人だと特別だとかそんなくだらない事抜きにして、悠貴とアンナさんは深いところで繋がっているんだ。
「瑠衣、お願いするわ。悠貴のことを思うなら、説得して」
説得って言ったって、どうしたらいいの。
まだ悠貴の本心もわかっていない。
思い悩んでいると、アンナさんが軽い調子で口を開いた。
私の気を楽にする発言のつもりだったかもしれないけど、その言葉が一番の衝撃だった。
「大丈夫よ、落ち着いたらあなたもカナダに遊びにくればいい」
「……は? カナダ?」
意味がわからなくて、そっくり単語をオウム返ししてしまう。
「言ったでしょ、今は拠点をカナダに移してるって。悠貴にも一緒に来てもらうつもりよ」