婚約破棄されたぽちゃOL、 元スケーターの年下ジムトレーナーに翻弄されています

「ワガママというか、当然の感情じゃない?」
「そうかな……」
 
 会社の給湯室で、理世と一緒に他部署合同会議の飲み物の準備をしていた。
 ペットボトルのお茶を出せたら楽なのに、発注を間違えてしまったのでこうしてひとつひとつの紙コップにコーヒーを注いでいる。

「そうよ。てか、なんでポッと出の女に彼を奪われなきゃいけないのよ」
「アンナさんはそういう人じゃないって。あと、どちらかと言えば私の方がポッと出の女なんだけど……」
「気にしちゃダメよ、説得する必要もなし」
「でも」
「ジムトレーナーとしてうまくいってんでしょ? わざわざ道を逸らせて成功するかもわかんない方向に突っ走らせるの、逆にその人のこと考えてない」
「そりゃあ、理世からしたらあり得ないかもしれないよ? 理世は人生設計がしっかりしてるタイプだからね」
「夢とか好きとかで食えていけるほど、世の中甘くない」
「そういうところはアンナさんがカバーしてくれるんじゃないかな、仕事探してくれたりすると思うよ」
「ちょっと、瑠衣。彼がカナダに行って欲しいのか欲しくないのか、どっちなのよ」
「そんなの……行ってほしくないけど……」

 アンナさんに話を聞いた日から、ずっと同じことで悩んでいる。

 悠貴の背中を押してあげたいのに、その話をできないでいるのだ。
 どうしてできないのかと言えば、それが悠貴と離れたくないという自分本位な理由なこともあって、さらに自己嫌悪にも陥っている。
 しかも悩んでいる様子なのが悠貴にもバレているようで、変な反応をしてしまうのを具合が悪いのだと思われていて心配されていて、それも申し訳ない。

 またうだうだと考えていると、シンクの下をごそごそ探っていた理世が声を上げた。

「ねえマドラーないんだけど。なくてもいいかな」
「あれ、どこかで見た気がするんだけど……」
「コーヒーメーカー買ってから、インスタント使わなくなったからね。まあ、なきゃないでいいでしょ」

 適当な理世が早々にマドラーを諦めたところで、トントンと壁を叩く音がした。
 振り返ると、給湯室の入り口に吉光さんが立っていた。

「マドラーなら、上の戸棚に入ってないかな」

 そう言いながら、高いところにある戸棚をひょいと開けてマドラーの入った袋を取り出してくれた。

「あ、ありがとうございます。よくご存じでしたね」
「前にインスタントコーヒーを探した時、そこにあったのを見かけたんだ」

 以前に会社の前で吉光さん、悠貴、元彼と鉢合わせになってしまった時。

 後日お見苦しいところをお見せしたことを謝ったけど、吉光さんは気にしないでと言って笑った。
 あまりに恐縮する私を気遣ってか、「彼の右ストレートには敵わないね」と冗談さえ言ってくれた。
 私は苦笑いするしかなかった。

「……僕は、思うんだけど」
「はい?」
「彼は、なにがあっても白藤さんのこと責めたりしないと思うよ」
「……え?」

 思いがけないことを言われて、一瞬思考が停止する。

「やだ吉光さん、盗み聞きですか?」

 理世がわざとらしく顔をしかめると、吉光さんは慌てて手を横に振った。

「いや違うんだ、ちょっと聞こえただけで」
「でも吉光さんも私と同じ意見ってことですよね? 瑠衣がコーチから話をされたことを黙ってて、それで何にも知らないフリしてたって彼は瑠衣のことを責めたりしない」
「もう理世、そんな言い方ないでしょ」
「でも現状そうでしょう」
「……はい」

 いつものように軽く応酬している私と理世を見て、吉光さんは笑った。

「いや、駒田さんとはちょっと違っていて」
「あら、違うんですか?」
「彼は白藤さんのことを責めたりはしないだろうけど、白藤さんが自分が原因で悩んでいることを知ったら、自分を責めると思うよ」
「悠貴が、自分を?」
「彼は、その……白藤さんにひどいことを言った人を、殴ったよね? 白藤さんが傷つけられたことが、よっぽど許せなかったんだろう」

 確かに、悠貴が元彼に手を出したのは私のために怒ってくれたからだ。
 そのせいで暴力選手だなんて言われたのに、自分が貶められても再び元彼に手を上げることはなかった。
 
 思えば最初に出会った時も、ガラの悪い男にいくら詰められて襟首を掴まれても、悠貴は冷静に振舞っていた。

 本来は、簡単に頭に血が上るような人ではないのだ。

「そんな人が、最近白藤さんが元気がない原因が自分だってわかったら、すごく自分を責めるんじゃないかな」
「私、最近元気なさそうに見えますか?」
「前も言ったでしょ、あんた顔に出やすいのよ」
 
 ……これは、いよいよ外面を取り繕う訓練をした方がいいかもしれない。

 あからさまにしょんぼりしている人なんて、扱いにくいに決まってる。
 そう思いつつもまた難しい顔をしてしまった私に、吉光さんは優しく声をかけた。

「だから、ちゃんと話してみればいいと思うよ。白藤さんの思ってることも、悩んでることも、全部」

 もちろん、話をしたいと言えば悠貴は聞いてくれるだろう。
 話をすることが大事なことはわかっている。
 だけど、私が悩んでいることまで話すということは、実質悠貴に告白するようなものだ。

 きっと、悠貴も私のことを悪くは思っていないはず……だと思う。

 だからこそ私が悩んでいるのは、私の思いが彼の負担にならないかどうかだ。

「……はい、ありがとうございます」

 吉光さんの提案は、すごく良い平和的な解決が望めると思う。

 悩んでいること、思っていることすべてを話してみるのはやっぱり難しい。
 それでも、話してみなきゃなにも始まらないのも事実だ。

「話してみます、悠貴と」
「うん、それが良いと思う」

 お盆にコーヒーを載せていた理世が、からかうように口を開いた。

「でも吉光さん、ずいぶん瑠衣に優しいですね?」
「ああ、好きだからね。諦めてはいるけど、人の気持ちはすぐには変わらないよ」

 さらっと言ってのける吉光さんに驚いていると、理世が吹き出した。

「あれ、言っちゃうんですか」
「君たちの仲なら、僕と白藤さんになにがあったかなんて筒抜けだろう?」
「まあ全部知ってますけど。他言はいたしませんので」
「駒田さんも白藤さんに優しいでしょう、厳しい優しさ」
「言いたいことを言っているだけですよ」

 私そっちのけで、私の話をしているふたり。
 良い友人にも、良い上司にも恵まれている。

 そんなふたりを心配させないためにも、そして悠貴に自分を責めさせないためにも、ちゃんと話をすることを決心したのだった。

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