婚約破棄されたぽちゃOL、 元スケーターの年下ジムトレーナーに翻弄されています
「ほんとに覚えてないんだ」
「え?」
からかうような口調と楽しそうな悠貴に、ハッとする。
「もしかして嘘?」
「嘘じゃない、絡まれて愚痴られたのは本当」
断言されて、ますます小さくなってしまう。
本当に、なにをしてるのよ私は。
当時の悠貴は、なんだこの人と思っただろう。
友人の姉だからないがしろにするわけにもいかず、相当困ったに違いない。
でも、どうしてそんなことを悠貴は7年間も忘れられないんだろう。
恥ずかしさの中にひとつの疑問が生じたところで、悠貴は話を続けた。
「あと、ドーナツくれた」
「え?」
「会社で作ってるやつ」
悠貴にお菓子をあげている自分は、容易に想像することができた。
きっと会社の不平不満を話すついでに、これがうちの商品なんだけどね……とか言って渡したんだと思う。
右隣で、悠貴が短く息を吐いた。
見ると何かを噛みしめるように、思い出すように、口角が少し上がっていた。
「ほかの子たちの分はないから、君は特別って」
まさか、そんなことが嬉しかったのだろうか。
そう聞こうと思ったけど、私より悠貴が喋る方が先だった。
「思うようにならないことや辛いことばっかりだけど、これ食べて一息ついて、そしたらまた頑張れるって自己暗示をかけるの、って」
「私が言ってた?」
「うん、これも覚えてない?」
「……でも、私の言葉だと思う」
優しい先輩ばかりとは限らない配属先、女性の意見というだけで通りにくい旧式の会社システム。
日々求められる数字。
結婚を夢見て付き合い始めた、ワガママな彼氏。
大学を卒業した大人なのだからと、もう人に甘えてはいけないと思っていたから全部抱え込んでいっぱいいっぱいになることもあった。
辛いから全部やめちゃおうかなと思っても、そんなことできなかった。
だからこその自己暗示だった。
ほんのちょっとの甘いもので、しんどい世界でも私は前を向いて生きていける気がしていた。
「……悠貴は、どう思った? それ聞いて」
好きなことができなくなって、大事な人を亡くした悠貴にそんな軽い言葉をかけて良かったのか。
今さら少し心配になって聞いてみたけど、悠貴は微笑みを絶やさずに穏やかに答えた。
「――ああ、そうかもなぁって思った」
悠貴の横顔が、反対車線から来た車のライトに照らされる。
ぼんやりとだけど、その時の私の考えが想像できた。
きっとなんだか元気がなさそうな悠貴を励まそうと思って、わざとあっけらかんと自分の話をしたんだと思う。
すごく良いかどうかはわからないけど、私たちは案外悪くない出会いをしたようだ。
吸いやすくなった車内の空気に心を落ち着かせていると、ふと外の景色がガラッと変わっていることに気が付いた。
車線が増えている。このまま行くと、高速に乗る道だ。
「どこまで行くの?」
東京にでも行きたいのかと思ったけど、彼はさらっと「長野」と答えた。