婚約破棄されたぽちゃOL、 元スケーターの年下ジムトレーナーに翻弄されています
「経営って? なに?」
「そのままの意味だけど」
「悠貴、トレーナーでしょ?」
「別に経営者がトレーナーやったっていいだろ」
理解が追い付かず、一瞬黙って考える。
――それって、悠貴があのジムを経営してるってこと?
「聞いてない!」
「教えてないからな」
「な、なんで? なんで言わなかったの?」
「必要ないから」
淡々とした口ぶりから、本当に隠していたわけじゃないんだろう。
でもおかしい。
ジムのスタッフさんやお客さんたちからも、そんな話は聞かなかった。
「まさか、誰にも言ってないの? パンフレットに顔写真とか、乗ってなかったよね……?」
「ホームページに名前くらいは載ってるだろうけど」
「……そうなんだ」
「なにその呆れ顔。さすがにスタッフは知ってるよ。ただお客さんに社長ですって名乗る必要はないだろ、トレーニング仲間っていうフラットな関係に、肩書きとか教える必要ない」
ジムに入会したときの、悠貴の言葉を思い出す。
――トレーニー同士仲間として、お互い上下なく対等な関係で高め合いましょう。
良い考え方の企業だなとは思っていたけど、まさか悠貴そのものの考えだったとは。
「びっくりした……」
「社長だって言ったら、簡単になびいてくれたわけ?」
「そんなわけない!」
「なら、言ってさっさと物にすれば良かったな。あー失敗した」
「だから違うって!」
からかって笑う悠貴の言葉に、全力で否定する。
そんな私に声を上げて笑った彼は、頬を緩ませたまま見つめてきた。
「……どうしたの?」
「瑠衣さんに会って、前を向かないとなって思って……自分ができること探して新しいことやろうって決めたんだ」
思えば、その若さであれほどの規模のジムを経営しているなんて、すごいの一言では片づけられない。
挫折や辛い別れを乗り越えてここまでたどり着いた悠貴は、本当に強い人だ。
「いっぱい頑張ったんだね」
「たまたま向いてただけ」
素直に褒められてくれない悠貴だけど、実際は苦労も努力も並大抵のことではなかっただろう。
「だから、ジムを放ってカナダには行かない。スケートに未練がないわけじゃないけど……今の立場でやりたいことを大事にしたい」
「……そっか」
それが悠貴の選択なら、私になにも言えることはない。
スケートができる歳とか、チャンスとか、悠貴の未練とか。
色々考えて、スケーターとして復帰することが彼の幸せだと思ってた。
でも、悠貴は確かに前に進んでいるんだ。
新しい居場所を作り上げて、ジムでたくさんの人を希望に導いている。
……押しつけがましいことをしてしまった自分が、なんだか恥ずかしい。
そう思って俯いていると、不意に頬に手が伸びてきた。
冷たい手の平に包まれて驚いて顔をあげると、唇に軽く口付けされる。
「な、なに?」
「嬉しい」
脈絡のない言葉の意味を理解しようとする前に、ゆっくりと背中に腕を回され抱きしめられる。
私を離さない腕には、次第に力が込められていく。
「どこにでもついてきてくれるってことだろ」
「……うん、一緒にいたいの」
口に出すと、思いが溢れてくるようだった。
行き場のなかった腕を悠貴の背中に回し、ギュッと抱きしめ返す。
「俺も、一緒がいい」
甘えるような小さな声に、彼を宥める様に背中を撫でる。
「好きだよ、瑠衣さん」
そう言ってすぐ離れていく体温に名残惜しさを感じる間もなく、彼の冷たい唇が、唇にぶつかってくる。
冷たいと感じたのは、ほんの最初だけだった。