ハニートラップ

“あれは俺だ”
いっそ言ってしまおうかと思った、時だった。



「今でも時々思い出すんだよね。
あの人、ちゃんと元気にしてるかなって。」


ぼんやりと空を見上げながら珠桜が呟く。
胸の緊張が一気に解放されて、全身に血が巡る。


――珠桜の中に、あの日の俺がちゃんといた。

小細工なんかしなくたって、
珠桜は最初から“俺”を置いてくれていた。


心臓がドクンドクンと大きく動いて、波を起こす。

そんな鼓動があることを、俺は初めて知った。


「……うん。」

消え入りそうな頷きと共に、手の力が緩んでするりと珠桜の手から滑り落ちる。

脈打ってると思ったらキュッと締まる胸の切なさに、なぜか顔が綻んだ。



この感情の名前はわからない。
“だからこそ”溢れそうで、言葉が一瞬喉で詰まる。


例え頭の片隅にでも、珠桜の中にずっと俺が在るように。


「――俺は元気にしてるよ、珠桜。」


目の前の珠桜はきょとんとしている。

側の桜の木には硬い蕾。
優しい青空が広がる、晴れた春の日のことだった。


**Metamorphosis/変質 【complete.】

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