ナースマン先生の恋は暑苦しい

1 ナースマン先生はたいてい半袖

 高瀬(たかせ)真帆(まほ)は、駅から出た瞬間に、赴任する土地がこれから好きになれるか考える。
 それは職場を点々としてきたためについた習慣でもあるし、これからの毎日を好きになりたいという願いでもある。
 ただその日降り立った赴任地は、好きになれるかを考える時間がなかった。なぜって、駅からわずか一分のところに職場があったからだった。
(あっという間に着いちゃったけど、まずは心を落ち着けて)
 真帆は校門の前で一度だけ大きく息を吐いた。
 これから働く看護学校は、よく言えば歴史が長く、悪く言えば老朽化が進んでいる。
(仕事は……たくさんありそう。とりあえず予算を取らないと、修理だけで赤字だ)
 大学進学が主流となったこの時代、専門学校は予算的に厳しいのが目に見えている。建付けの悪そうな扉に、うっそうと茂る植木たち、けれど春先のまだ冷たい風の中にそびえる校舎は不思議と穏やかだ。
 真帆がこの職場を選んだのには、理由があった。
 とある事情から、男性の少ない職場。できれば病院関係がいい。
 条件を重ねて探した末に、たどり着いたのがこの看護学校だった。
(好きに……なれるかな?)
 懐に子どもを守っているような校舎を見上げて、ふと微笑む。
(……好きになろう。女性ばかりだって聞いてたし、大丈夫だ)
 自分に言い聞かせるようにして、真帆は職員用の出入口をくぐろうとした。
 その瞬間、背後から声が響く。
「おはようございまーす!」
 いきなりの大きくて通りのいい声に、押し込まれるように入口に入る。 
 振り向いた真帆は、思わず顔を上向ける。
 視線の先に立っていたその人を見て、口を開く。
「……え、半袖?」
 ぎりぎり飲み込むつもりが、声に出てしまった。
 自分の格好が変じゃなかったか、とりあえず顧みる。
 でもまだ春先で、決してコートを着ている自分が場違いではない。
 その男性は、半袖白衣に紺のボトムスという、季節感を置き去りにした格好で立っていた。
 筋肉質で、背が真帆より頭二つ分くらい高く、表情はやたらと明るい。
 総じて、暑苦しい。
「あっ、新しい事務の方ですよね!?」
 男性は一歩で距離を詰め、満面の笑みを浮かべた。
朝倉(あさくら)陽斗(はると)です! 実習担当やってます! よろしくお願いします!」
 ……ここは、男性の少ない職場だったはずでは?
 そうちらりと考えたものの、その勢いの良さに押されたのだと思う。
「高瀬真帆です。本日からお世話になります」
 丁寧に頭を下げると、朝倉はなぜか目を見開いた。
「クールビューティ……!」
「はい?」
 思わず聞き返してしまうと、朝倉は拳を握り、なぜか感動したように言った。
「凛としてて! 無駄がなくて! かっこいい!」
(……何を言っているんだろう、この人)
 真帆は内心で首をかしげながらも、恒例の業務の山を思い出し、軽く会釈だけして視線を戻した。
「すみません、赴任初日でやることが多くて」
「ですよね! 忙しいですよね!」
 朝倉はうんうんとうなずきながら、さらに声を張る。
「困ったらすぐ言ってください! 俺、全力でサポートしますから!」
「……ありがとうございます」
 ぞんざいになっている自覚はあったが、正直、初日はそれどころではない。
 今日は残業覚悟だなと思いながら、あいまいに笑う。
 すると、朝倉はむずかゆいような顔をして言った。
「……あ、笑った」
 顔を上げると、朝倉は満足そうに口角を上げる。
「思った通り……いや、これからよろしくお願いしますね!」
(思った通り……?)
 真帆は首を傾げたものの、まもなく始業時間だと気づく。
「行きましょう、朝倉先生。辞令を受け取らないと」
「はい!」
 そんなふたりを職員室のガラス越しに見ている人たちがいた。
「始まったわね」
「春の恒例行事よねぇ」
 ベテランの女性教員たちはきっちり暖房の中に収まりながら、暖かい目でその光景を眺めていた。
「朝倉先生、また一目惚れ?」
「手ごわそうね。相手にされてないわよ」
 そんなひそひそ声を背に、半袖のナースマン先生とちょっとした事情を抱える事務職員は、つかず離れず職員室へ入って行ったのだった。
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