キミの感情
「な、に……笑って……」

顔を引き攣らせている美咲を見ながら、僕は軽蔑の視線を向けた。

「哀しいからだよ」

吐き捨てるようにそう言うと、目の前の花音の仮面を被った美咲の首を締め上げていく。

「……ぐっ……お、ぇ……が……」

「……ふふ……あはははっ」

どのくらい力を込めていただろうか?
美咲の首から両手を離せば、彼女は壊れた人形のように倒れ込み二度と動くことはなかった。

「おやすみ」

僕は転がっている美咲を見下ろしながら、微笑む。そして天井を見つめた。

「……ごめんね、花音。やっぱりダメだった。君を失ったのに僕は……涙のひとつも出やしない」

花音はどう思っているだろう。殺されても笑うことしかできない僕のことを。

その場に座り込みうずくまった僕の脳裏にふと、ニーチェの言葉がよぎる。

──『忘却は、よりよき前進を生む』

恋人や家族が居なくなっても『哀』がわからない僕が『哀』を知る術はこの世のどこにもない。

もう『哀』を知ろうとする事も、愛する花音の事も忘れてしまおう。
今までだって『哀』を知らなくとも生きてこれたのだから。    

「全部……忘れよう」

一番楽になれる方法は、深く考えずに忘れてしまうことだと頭ではわかっているのに、うまくいかない。目を閉じれば花音との思い出が浮かんで、胸が張り裂けそうになってくる。

「……花音……っ」

その時だった、手の甲に一粒、水滴が落ちて当たった。

「え?……これ……」

恐る恐る頬に触れれば、間違いなくそれはあたたかく僕の瞳から溢れ落ちていた。

「……これが……涙。これが……『哀』……?」

目の奥が熱くて心が痛くて苦しくて、全てを拒絶して叫び出したい感情。

「……やっと……知ることができた」

この先、僕がこのずっと欲しかった感情を体験する日は二度とこないかもしれない。それほど深く彼女を愛していたから。

「花音……ありがとう」

まだまだ感情は不安定だ。
僕はすぐにニヤけそうになる口元を押さえながら、彼女を想い涙を流した。



2025.12.12 遊野煌
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