これはもはや事故です!
 磯崎は、美羽から少し距離を取るように立ち上がった。
 それから、何かを探すようにリビングを見回し、ふと、キッチンに視線を向ける。

 シンクの中。
 きれいに揃えられた食器。
 水気の切られたラック。

「……美羽さん」

 低い声に、美羽の肩がびくりと跳ねた。

「これ……洗ったのか?」

「あ……」

 一瞬、答えに詰まる。

「えっと……ごはんの後で……その……車いすでも、届いたので……」

 言い訳みたいな口調になってしまう。

 磯崎は、ゆっくりとキッチンに近づき、シンクの縁に手をついた。
 それから、深く息を吐く。

「……無理したな」

 責める響きはなかった。
 ただ、静かな心配だけが滲んでいる。

「足、まだ治ってないって言っただろ」

「で、でも……これくらいなら……」

「これくらいって、無理すると治りが悪くなるんだ」

 穏やかだけど、はっきりした声。
 磯崎は、美羽の正面に戻り、目線を合わせた。

「俺がいない間、頑張ろうとしたんだろ」

「……っ」

「気持ちは、嬉しい」

 その一言に、胸がきゅっと縮む。

「でもな」

 磯崎は、ほんの少しだけ声を落とした。

「美羽さんが無理するのは、俺は嫌だ」

 まっすぐな言葉だった。
 余計な飾りも、押しつけもない。

「役に立たなくてもいい。何もしなくても、ここにいていい」

 美羽の喉が、ひくりと鳴る。

「……でも……」

「でもって、言わない」

 磯崎が、困ったように小さく笑った。

「俺が帰るまで、ちゃんと足を休ませる。それで十分だ」

(優しすぎる……だから、怖い)

 その想いが、距離を取らせる。

 美羽は、唇を噛みしめたまま、小さく頷いた。

「……気をつけます」

 それだけしか言えなかった。
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