これはもはや事故です!
 車がゆっくりと停まった。

「……着いたよ」

 磯崎の静かな声が、美羽の胸にひびく。

 見慣れたはずの自分のマンションなのに、どうしてだろう。美羽の目には寒々しく見える。

 車のドアを開けた磯崎は、美羽が降りやすいように身を屈めて手を差し出した。

 その手に触れた瞬間、美羽の胸がまた痛くなった。

(……ああ。やっぱり優しい)

 抱き上げられて階段を運ばれる間、美羽はずっと、心の置き場所を探していた。

(……離れたくない、なんて言えるわけない)

 玄関の鍵を開けると、冷えた空気がふっと頬を撫でた。

 磯崎が美羽をそっと玄関の中へ降ろす。

「……少し、部屋が寒く感じる。留守にしてたからか」

「あの……すぐ暖房点けますから!」

「少し手伝うよ」

 磯崎が靴を脱いで上がりこもうとするのを、美羽は慌てて制した。

「あ、あの……ここまでで大丈夫です」

 すると磯崎は、一瞬だけ寂しそうに目を伏せた。
 その顔が美羽の胸に刺さる。

「……そうか。わかった」

 低く返事をすると、磯崎は玄関の土間でそっと美羽の足を確認するように視線を落とした。

「痛みが出たら、すぐ連絡して。駆けつけるから」

「はい……」

 答えた声は、思ったより震えていた。

 それに気づいた磯崎は、美羽の顔を一瞬見つめたあと、どこか切なそうに微笑んだ。

「じゃあ……行くよ」

 背を向ける磯崎のコートが揺れ、靴音が階段へ遠ざかっていく。
 ドアが静かに閉まり、部屋に完全な静寂が落ちた。

 ひとりになった途端、美羽の瞳に涙がじわっと滲む。

(……なんでこんなに苦しいの)

 一緒に居たいのに、距離を置かなくちゃいけない。
 近づきたいのに、期待したら辛くなる。

 床に影を落とす夕方の光が、やけに冷たく感じられた。

(……勘違いしちゃいけない。絶対に)

 そう思い込もうとするほど、胸の痛みは深くなっていく。
< 73 / 132 >

この作品をシェア

pagetop