これはもはや事故です!
「美羽さん……座って、足、痛いだろ」  

 磯崎が言ったのは、命令でも誘いでもなく、体調を気遣う、ごく普通の声だった。  
 美羽はベッドの端に腰を下ろす。  
 軋む音が、やけに大きく響いた。  
 磯崎は、美羽に気を使っているのか、立ったままだった。

「……立ってると、疲れますよ」

「大丈夫だよ」  

 即答。
 狭い部屋でも、磯崎はちゃんと、境界線を引いている。
 触れられないことが、拒まれているわけじゃないと分かっているのに、それでも、美羽には少しだけ寂しかった。
 

「……磯崎さん」

「ん?」

「……もし、私が……」    

 言いかけて、喉が詰まる。
 黙り込んだ美羽を、磯崎は急かさなかった。  
 沈黙が流れる。  
 時計の音すらない部屋で、呼吸だけが重なる。

「……美羽さん」  

 名前を呼ばれ、美羽の心臓が、大きく跳ねた。  
 磯崎は美羽の顔を見つめながら続ける。

「俺は、何もしない。君が大丈夫って言うまで、一歩も進まない」  

 その言葉に、胸の奥が、じわりと熱くなる。
(……こんな優しさ、知らない)  
 美羽は、膝の上で指を絡める。

「どうして、そこまで……」  

 磯崎は、少しだけ困ったように笑った。

「信じてもらうって、そういうことだろ」  

 その瞬間。  
 美羽の中で、長い間凍っていたものが、ほんの少し、音を立てて溶け始めた。  
 愛情は、奪うものでも、迫るものでもなくて……。  
 ゆっくりと心を温めてくれる事なのかもしれない。  
 美羽は、俯いたまま、小さく息を吐いた。

「……もう少しだけ」

「うん?」

「……近くに来て貰ってもいいですか?」  

 磯崎は、迷いなく頷いた。

「もちろん」  
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