浦和探偵 ジン
第十一話
「ティンク」
 
 帰り道だった。歌舞伎座の灯りが、まだ背中に残っている。芝居の熱、拍手の余韻。その中で、俺の手には投げてもらった手拭いがあった。推しからのものだ。隠す理由もない。俺はそれを、くるくる回しながら銀座の夜を歩いていた。
「……それ、完全に自慢ですよね。子どもみたいですよ」
横でナオナが呆れた声を出す。
「推しからもらったんだ。自慢して何が悪い」
「探偵が手拭いを回しながら歩いているのは、職業的にどうなんでしょう」
「関係ない」
「関係なくはないと思いますけど」
そのときだった。
「あの……すみません」
声は低く、落ち着いていた。夜の街に溶け込みながら、妙に芯がある。振り向くと、着物姿の女性が二人立っていた。派手さはない。だが、なぜか視線を外しづらい輪郭をしている。
「少し、お話を伺ってもよろしいでしょうか」
「俺に? 手拭いはやらねぇぞ」
「ジンさん、それは関係ないでしょう」
「念のため言っただけだ」
二人は名を名乗った。さくらとしずか。歌舞伎座では席が近かったらしい。喫煙所でも、食事処で御膳を広げた時間も、不自然なほど重なったという。偶然にしては出来すぎている。そう感じたのだろう。銀座でとりあえずの珈琲は高い。だが、ナオナが言った。「話だけ聞きましょう」。近くの喫茶店に入った。
探偵だと名乗った瞬間、二人の空気が変わった。覚悟が、椅子に腰を下ろした。
「探してほしい人がいるんです」
「どんな人だ」
「……命の恩人です。でも、姿が見えなかったんです」
「姿が見えなかった?」
「はい」
さくらは妙義山での登山中、滑落しかけたという。死を覚悟した一瞬、リュックがありえない角度で鎖に引っかかった。その一拍があったから、手を伸ばせた。それがなければ、ここにはいない。しずかの話は海だった。砂浜を歩いていた。波は穏やかだった。だが次の瞬間、身体は持っていかれた。水の中で上下が分からなくなり、何度も底に叩きつけられた。水を飲み、意識を失った。後で聞いた話では、しずかの身体は沖から陸へ、糸で引かれるようにまっすぐ波打ち際へ戻ってきたという。
「助けられた、と」
「はい」
「だが誰かは分からない」
「だから、せめてお礼が言いたいんです」
 俺は頭の中で言葉を転がした。山の神、海の神。そこで話を終わらせることもできた。だが、ナオナが静かに言った。「ジンさん。まさか断りませんよね?」
「……やるよ。任せろ」
「任せろ、の前の間が長かったですね」
「黙ってろ」
調査は重かった。二人はすでに、日本中の神社仏閣を回り尽くしていた。秩父の古社、熊野信仰に連なる社、海沿いの祠。霊媒師、拝み屋、占い師。都内の有名どころから地方で名の通った者まで、どこでも似た答えが返ってきた。「守られたのは確かだが、誰かは分からない」。全部、同じ答えだった。
「……二人は大学時代とか、どこかで繋がってるのか」
「オカルト同好会の先輩後輩です」
「なるほどな。だから整理して話せるのか」
俺も丁寧に調べた。神道、仏教、修験道、教会、山岳信仰、海神信仰、妖怪譚、民俗学。だが、どれも決定打にならない。行き詰まった。
 最後に辿り着いたのが、妖精だった。俺は井村君枝を訪ねた。日本における妖精研究の第一人者だ。コナン・ドイルが妖精の実在を信じた話、イギリス・コティングリーの妖精写真、その資料も彼女の蒐集には含まれていた。ドイルは言ったという。世界には、まだ説明されていないものがある。井村は静かに言った。「信じるかどうかではありません。人が関わってしまった事実が残るんです。名前がついているかどうかは関係ありません」。その言葉が胸に残った。肌感覚で言えば、日本なら天狗か。空を飛ぶ、人の近くにいる、強い力を持つ。信仰と伝承と生活の隙間にいる存在だ。
 俺は栃木の古峯神社へ向かった。参拝を済ませ、天狗の像の前に立つ。声は出さない。心の中で言った。礼を言いたいだけだ。あいつらの感謝、ここに置いていくぜ。その瞬間、電話が鳴った。さくらだった。
「……もう、探さなくていいです」
「お?」
「直接、来ました。心に。気持ちは十分、伝わったって」
「……今、俺がどこにいるか知ってるか」
「いいえ。でも、伝わったんです」
俺は硬直した。通話を切った直後、留守電の通知が一件入った。しずかからだった。内容は同じだった。さすがに背中が冷えた。軽いパニックに近い。俺は車に戻り、ナオナに電話した。
「なあ……これ……」
「ありますよ」
即答だった。
「見えないだけです。イエス様も、お釈迦様も、守護霊も。海外では妖精、日本では妖怪や天狗さま。名前が違うだけです」
「お前、怖くないのか」
「怖いより、面白いですよ」
「俺はそこまで達観できてない」
ナオナは少し笑った。
「ジンさんだって、和歌山から流れて浦和に辿り着いたのは、何かに拾われた結果かもしれませんよ」
「……それを今言うか」
「今が一番刺さると思いましたので。それより、またただのぶさんがいらっしゃいましたよ。最近オイル交換しすぎでは」
「仕事だ」
 後日、事務所に二人は来ていたらしい。机の上には、たんまりとチョコレートが置いてあった。ナオナは、きちんと報酬も請求したようだ。えいたが写真を届けに来ていた。
「なぁえいちゃん、どう思う?」
「GODIVAじゃないっすか」
「ん?」
「ナオナ、これ食っていいか」
「どうぞ。ちゃんとお金はいただきました。えいたさんもたくさん食べてくださいね」
「俺のだぞ!」
「ごちっす」
「さくらとしずかが来たとき、俺はいなかったのか」
「いなかったですね」
「残念だ」
えいたが笑う。
「どうせ手拭いは渡さないんでしょ、ねん?」
「あたりめぇだ」
「ジンさん、けちっすよねぇ」
「うっさい」
思い返せば、歌舞伎座で手拭いをもらったこと、声をかけられたこと、全部、どこかで繋がっている気がする。人間不信になりかけて、やめた。神様不信にも、なりきれなかった。見えないものは、見えないままでいい。だが、確かに作用する。えいたがチョコを一つ差し出す。
「ナーさん、はい」
「えいたさん、優しいですね」
「アーメン、ナムナム、天狗さまだな。宝くじでも買いに行くか」
「ジンさん、絶対当たんないっすって」
俺はチョコをひとかじりして、窓の外を眺めた。……ま、見えねぇままでいい。効いてりゃ、それでいい。
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