三度目の人生は、キミのために。

16:収穫祭の夜の暴露

 暑い季節が過ぎて、暖炉が恋しい時期になった。

 トアルの村では、夕方から小さな収穫祭が行われる。
 朝から村中が浮ついた空気で、収穫祭の準備に追われていた。

 昼には農夫が収穫物を見せ合い、婦人たちが夏のうちにそれぞれの家で仕込んだ保存食を持ち寄り、交換し合っていた。

 夕方になると、村の入り口近くにある教会の前に大鍋が据えられた。
 スープがぐつぐつと煮え、湯気が立ち上る。

 焼きパン、燻製肉、根菜。ワインにリンゴ酒。各家庭から持ち出された皿や瓶が、教会の前に出されたテーブルの上に次々と並べられていった。

 夜に備えて、火が入っていない松明が立てられていた。

 ロアとシェルとルイスは、ある程度の手伝いを終えて手が空いたところで、展望台の上から大人たちの浮かれた様子を眺めていた。

「いいよね、トアルの村のこの感じ。穏やかで、時間がゆっくり流れてる」

 シェルはトアルの村を見下ろして言った。
 シェルにとって王都・マーテルは、苦しいだけの場所なのだろうか。

 『なんでも話してね。嫌なこととか、嬉しいこととか、なんでも』

 初めて魔法を見せてもらった日に、ロアはシェルにそういった。
 しかしシェルが弱音を吐けるほどの人間に、ロア自身がなっていないという自覚があった。

 やがて大人たちが、教会の方へゆっくり向きを変えていくのが、展望台の上から分かった。

「そろそろ行こうか」

 ルイスが言って、三人も階段を降りて教会へ向かった。

 教会の中には、すでに村の人々とシェルの従者たちが集まっていた。

 中央には一本の通路が伸び、左右に長椅子が並んでいる。
 村人たちは肩を寄せ合うように座っていた。

 大人たちは子どもを前へ前へと押しやる。時の魔女に子どもの成長を見せるのが、マーテルの文化だからだ。

 いい歳して最前列で祈るなんて罰が当たるのではと思いながら、ルイスとシェルに続いて祭壇の近くへ進んだ。

 木の台に白い布を掛けただけの簡素な祭壇があり、その奥には時の魔女の像が静かに佇んでいる。
 三人はそのすぐそばの長椅子に腰を下ろした。

「みなさん、揃いましたかな」

 ルイスの祖父、エルドは祭祀の装いだった。
 祭壇の正面に飾られた時の魔女の像へ静かに視線を向ける。

「主よ、今日までの実りに感謝します」

 エルドはゆっくり息を吐き、目を閉じた。それから、胸の前で手を組んだ。

「感謝します」

 村人たちも同じように手を組み、口々に呟く。
 沈黙が人々を包み込み、教会の空気が整っていく。
 咳払いひとつ、靴底が床を擦る音ひとつさえ、やけに大きく響いた。

 ロアはこっそり目を開いた。
 ルイスは慣れた様子で目を閉じている。シェルも少し俯き、静かな祈りを捧げていた。
 ロアはまた、そっと目を閉じる。いつ祈りをやめればいいのか、分からないまま。

「では、みなさん」

 エルドの言葉を合図に、村の皆が顔を上げる。
 緊張がふっと手放された気がした。

「収穫祭を始めましょう」

 その一言で、張り詰めていた空気が一気に解かれた。

 教会を出ると、外はもう収穫祭の支度が完全に整っていた。
 大鍋ではスープがぐつぐつと音を立てて、焼きたてのパンと燻製肉の匂いがする。

 農夫のひとりが松明に火を灯そうと松明立てから一本抜き上げた。

「お任せください」

 シェルの執事はそう言うと、手のひらに火を灯した。

「魔法だー!」

 村では珍しくても、貴族にとって火の魔法は道具のひとつだ。
 執事は慣れた手つきで、農夫の持つ松明へ火を移した。

 幼い子どもが初めて見る魔法に感嘆の声を上げる中、その農夫は松明の火を別の松明へと移していた。

 婦人たちは率先して料理を振る舞い、男たちは酒樽から酒を注いでいる。
 シェルの屋敷のシェフが、手際よく肉を切り分けていた。

「アンタ、手際がいいね」
「ははっ。恐れいります」

 婦人たちに囲まれたシェフは、にこやかに笑っている。

「みなさま、お皿は……」

 シェルの屋敷のメイドは、小さな声を出す。
 しかしいたるところで話声がして、声が通らない。

「あのっ、みなさま! お皿は! こちらにございます!」

 屋敷のメイドは少し恥ずかしそうに、声を張り上げた。

 ロアたちを含めた村の子どもたちは、大人よりも先に食事の席に着いた。

 木椀に注がれたスープは湯気を立て、根菜と豆がごろごろ沈んでいる。
 焼きパンは外がぱりっとして、裂くたびに小さく音がした。

「パンはいくつまでお代わりできますか」

 オズワルドが手を挙げて問いかけると、農夫たちが笑った。

「いくつでもいいさ。腹いっぱい食いな」

 食事を終えたロア、シェル、ルイス、オズワルドの四人は、大人の輪から離れた。

 ここからは子どもの時間、大人の時間に分かれる。
 トアルの村の幼い子は三人。ひとりはまだ赤ん坊で、残りは三歳の男の子ニコと四歳の女の子エマの姉弟だ。

「走ってはいけません。食事中の人がいますので」
「ロア~! こっちこっち!」

 オズワルドの言葉は、姉のエマには通らなかった。

「もう、エマ! 追いかけっこはダメだって!」

 ロアは静かに落ち込むオズワルドをよそに、声を張り上げた。しかし、エマは全然言うことを聞かない。エマが走り回るのにつられて弟のニコも走り出した。

 ロアはエマとニコを目で追っていると、視界の端にシェルの姿を捉えた。
 シェルは赤ん坊を抱き上げ、笑顔で赤ん坊の手を見つめている。

「手、ちっちゃいねー。この手でなに持つのー?」

 シェルは赤ん坊の指先をそっとつまんだ。
 赤ん坊はシェルの指を振り払うと、言葉にならない声を上げてシェルの頬をぺちぺちと叩いた。

「痛いんだけどー」

 文句を言いながらも、シェルは笑って赤ん坊に顔を寄せた。

 他人に百パーセント甘やかされているシェルが、いまは甘やかす側に回っている。
 ロアはしばらく、その光景から目を離せなかった。

 本当にシェルは、天然メンヘラ製造機だ。
 ロアは愛しくてたまらない気持ちになって、思わず笑みが零れた。それなのに、同時に胸の奥が疼いた。

 シェルにはずっと笑顔でいてほしい。
 汚いものなんてなにひとつ見ないまま、まっすぐに大人になってほしい。
 シェルは、暗い顔をして俯いているよりも、無邪気に誰かへ笑いかけているほうが、絶対に似合うから。

「シェルもお兄ちゃんできるんだ」

 ロアはできるだけ穏やかな声で言った。

「当たり前じゃん。俺、お兄ちゃんだし」

 二度目の人生で、シェルの弟は死んだ。
 それが原因で、シェルに陰が落ちた。

 助ける。今度こそ。そう決めたのに、現実はまだ遠い。
 騎士試験まで、七年ある。
 早く来てほしいと思うのに、まだ全く準備ができていない。

 急にまた不安がロアを襲った。
 なにが見られるかも分からない試験を受けるのに、こんなところで笑っていて、いいんだろうか。

「こら! 走るんじゃない!」

 大人の叱る声が飛んだ。
 ロアははっとして視線を向ける。
 オズワルドが一歩を踏み出そうとしていた。

 鍋のすぐそばを、ニコが走っているのが見えた。

「捕まえた」

 ルイスは短くそう言って、ニコをひょいと小脇に抱えた。

「ダメだよ。火の近くは危ないから」

 ルイスはそう言ってニコを抱え直すと、逆の手をエマに差し出す。
 エマがルイスの手を握ると、三人は大鍋から離れた。

「ねえルイス。なにが危ないのー?」

 エマは不思議そうにルイスを見上げながら問いかける。

「熱いものに触ると、すごく痛いから。痛いの好き?」
「ううん。きらい」
「じゃあ熱いものに近付いたらダメだ。すごく痛いから」

 納得した途端、二人はもう別のことに夢中になった。
 しゃがみ込んで石を拾い、どっちが高く積めるか競いはじめる。

「ルイス、いいパパになりそうだね」

 シェルがそう言うと、ルイスは子どもたちから目を離さずに淡く笑って口を開いた。

「そうだといいけど」

 確かにルイスはいい父親になるとロアも思った。
 二度目の人生のルイスが浮かぶ。あのまま結婚式を終えていれば、きっと二人の間にも子どもがいただろう。
 二度目の人生のルイスは、どうしているだろう。あの世界自体、消えてしまったのだろうか。

 ルイスは子どもたちが集中して遊んでいることを確認すると、シェルに笑いかけた。

「シェルもパパに向いてるんじゃない?」

 シェルはルイスの言葉を聞いて、抱いている赤ん坊を少し揺らした。

「まあね。俺、ちっちゃい頃から教育されてるし」
「ん? 教育……?」

 オズワルドはシェルの言葉に疑問が残るのか、小さく呟いて主の言葉の続きを待っていた。

「〝自然を大切にしましょう。動物を愛でましょう〟って」
「それ、人間じゃなくて動物じゃん」

 すかさずロアが突っ込むと、オズワルドは頷いた。

「シェルさまのおっしゃる通り。マーテルの大切な信念です」
「だよね、オズ」

 なんでもかんでも主を肯定すればいいというものではないと思うのだが。

「シェルが受けてきたのは、天然メンヘラ製造機の教育じゃないの」

 ロアがなにも考えずにテキトーなことを言うと、シェルはすっと澄ました顔をした。

「だからー。俺はマーテルの王子――」
「シェル」

 ルイスが、いつもより低い声で名前を呼ぶ。
 シェルはぴたりと固まり、オズワルドは息を止める。ロアも反射的に息を呑んだ。

 ロアはそろりと首だけ動かして、周りの様子をうかがう。
 少し離れた所で、大人たちの祭りは続いている。

 よかった。誰も聞いていないみたいだ。

「マーテルの王子ー?」

 エマは石を拾っていた手を止めて、キラキラした目でシェルを見つめている。

「シェルって、王子さまなの?」

 エマのその一言で、空気が固まった。
 大人たちの笑い声が、大きく聞こえる。

 ロアとルイスとオズワルドは、視線だけをシェルへ向けた。

「ねーみんな! シェルは王子さまなんだってー!」

 その声に、執事が顔から血の気を失い、シェフの手が肉の上で止まった。
 メイドは皿を取り落とし、テーブルに乾いた音を立てた。
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