三度目の人生は、キミのために。

17:怖さって、なんだと思う?

 村中の視線が、シェルに集まっている。

「……お、王子様?」

 シェルは一拍遅れて笑い、抱いている赤ん坊に頬を擦りつけた。

「ちがうちがう。俺、そういうのじゃないよ。ねー?」

 シェルは完全に取り乱して、赤ん坊に同意を求めていた。

「王子様っていったんじゃんー」
「違います」

 エマの言葉に、オズワルドははっきりと言い切った。
 その場の全員の視線がオズワルドに注がれている。

 主の危機に真っ先に口を開く。ロアはオズワルドの勇気に拍手を送りたい気持ちだった。

「シェルさまは王子ではない。王子には平静が要ります。シェルさまにそれはありません」

 対応を急いだせいで、必要のない刃が混ざった。
 オズワルドははっきりとすべて言い切ったあとでぴたっと静止すると、体をシェルの方へ向けた。

「失言です。申し訳ありません。思ってもいないことがつい口から……」
「へえー、オズ。俺のこと、そんな風に思ってたんだー」

 シェルはオズワルドに平坦な視線を向けていた。
 オズワルドはうつむいたまま、弁解に必死になっている。

 こうなるとオズワルドは、完全に役に立たない。
 ロアはすぐに頭を働かせた。

 シェルが王子だと露見したら、今度こそ王都に連れ帰られる。

 ロアはエマの気を引く方法を必死に考えた。
 視界の端にルイスが写った。

 ――金色の髪に青い目。

 これだ。と思ったロアは、すぐに口を開いた。

「エマ。シェルよりルイスのほうが王子様っぽくない?」
「えっ、僕……?」

 ルイスは急に話を振られて目を見開いている。
 ロアは心の中で、ルイスにごめんと呟き、〝ルイス=王子さま〟に全力を投下して、「ねっ? そう思うよね?」と念を押してエマの言葉の続きを待った。

 エマはぱっと明るい顔をするとルイスを見た。

「うん! じゃあルイスが王子さまね。私はお姫さま」
「うん。わかった」

 ルイスが少し困った様子で笑うと、農夫が声を張り上げた。

「ルイス王子さまー。まずは町までの道の整備、お願いしますよー」
「荷車が通らんのですわ」

 そう言うと、村の大人たちは共感して笑った。

 屋敷の人間たちは胸を撫でおろして動き出した。
 メイドは料理を運び、執事はテーブルの上を片付け、シェフは肉を切り始めた。

「働いてばっかいないで、あんた達も食べな!」

 マルタの声が飛び、屋敷の人間たちは会釈をしながら酒を受け取っている。

「じゃあ僕は騎士ー!」

 ニコがそう言うとシェルが口を開いた。

「じゃあニコは、戦闘防衛課のエースだ」
「……設定リアルすぎだから!」

 ロアは、せっかく全員で回避した危機をぶり返そうとするシェルを睨んだ。
 シェルは困り笑顔で肩をすくめ、「ごめん」と呟く。

「ありがとね、シェルくん。助かったわ」

 赤ん坊の母親エルナが腕を伸ばすと、シェルは抱いていた赤ん坊を差し出した。

「かわいいね。赤ちゃんって」
「かわいいだけでいてくれるといいんだけど」

 少し遅れてやってきたマルタは、ロアたちを見て口を開いた。

「見ていてくれてありがとうね。……エマ、ニコ。帰るよ」

 二人はまだ遊び足りなさそうに、むすっとした顔で母親のマルタを見る。

「えーまだ遊びたいー」
「子どもがあんまり遅くまで外にいると、〝ラミア〟に喰われちまうよ」

 その一言で、エマとニコの顔がさっと強ばった。
 ふたりは互いの手をぎゅっと握り、家の方へ小走りに消えていく。

 母親と幼い子どもが家路につき、四人は同時に息を吐く。
 ロアは丸太を横にしただけのベンチに腰を下ろした。

「もう、ひやひやしたよ」
「ごめんごめん」

 ロアの言葉にシェルが困り笑いを浮かべて、ロアと同じ丸太に腰を下ろした。

「でも、うまく誤魔化せてよかった」
「……本当によかった。今度マーテル城に報告が行ったら、連れ戻されるところでした」

 ルイスに続いてオズワルドは言う。
 疲れ切った四人は、もう一度息を吐いた。
 松明の火は音を立てて燃えていて、大人たちはさっきよりもずっと大きな声で笑っていた。

「さっきマルタおばさんが〝ラミア〟って言ってたけど、このあたりでもラミアの言い伝えあるの?」

 シェルの問いかけに、ロアは頷いた。

「あるよ。小さい頃よく言われた。〝子どもが夜遅くに外にいると、ラミアに喰われる〟って。ねっ、ルイス」
「うん。蛇の下半身に女の上半身で、迷いの森を抜けてくる魔女だってね」

 ルイスの言葉を聞き終わると、オズワルドが口を開いた。

「王都の方とは違いますね。私は〝ラミア〟は蛇を操る古の魔女だと習いました。シェルさまはどうですか?」
「俺もそう。蛇を操る魔女で、悪いことをした人間を食い殺すって」
「同じラミアみたいだけど、地方によって違うんだね」

 ――どうして地方によって言い伝えが違うんだろう。

 すぐ近くで、乾いた枝が鳴った。

 四人は同時にそちらを見る。
 松明の光の届かないところで、なにかがゆっくりと地面を擦っていた。

「ラ、ラミアじゃないよね……? ちょ、ちょっと……見てきてよ、シェル」
「一人は絶対にイヤだ。一緒に行こう。手、繋いで行こう」
「いいえダメです。シェルさまが行くのなら、私が盾になります」

 オズワルドに期待の目を向けるロアだったが、彼は一歩も動こうとしない。

「盾になるんじゃないの?」
「シェルさまが見に行くならの話です」

 言い合いをする三人をよそに、ルイスが一歩踏み出した。

「猫だよ」

 ルイスがそう言った途端、恐怖はすっと抜けるように消えた。
 猫はひと鳴きすると、逃げていった。

「なんだ猫かあ」
「そうだと思ったよ」

 シェルは調子がいいことを言っている。

 ロアはふと思った。

 ――怖さって、なんだろう。

 ロアはもう一度暗がりを見た。
 そこにはもう、なにもいない。

 ラミアだと思っていたものが猫だったから、安心したのだろうか。
 じゃあ、覚悟を決めた騎士試験は、どうして怖いんだろう。

 ロアは立ち上がった。

「帰る」
「急に?」

 ロアの言葉に隣にいたシェルがすかさず口を開いた。

「気になることができたから」

 ロアがそう言うとルイスが笑った。

「じゃあ、帰らないとダメだね」

 わかってくれている気持ちが嬉しくて、ロアはルイスに頷いた。

「ひとりじゃ寂しいでしょ? 送って行くよ」

 シェルはそう言うと立ち上がった。
 そして屋敷付きの執事を見た。執事はすぐにシェルの視線に気付くと、シェルのそばに来た。

「御用ですか」
「ロアを家まで送るから、言っておこうと思って」
「夜ですので、お供いたします」

 シェルはほんの小さく息をついて、淡く笑った。

「ありがとう。少し離れて歩いてくれる? 俺の声が、聞こえないくらい」

 シェルがそう言うと、執事は少し目を見開いて、それから頭を下げた。

「かしこまりました」
「ロア、行こう」
 
 シェルに言われて、ロアは村人たちに挨拶をして歩いた。
 二人の周りを、執事の火の魔法が揺れていた。

 かなり離れたところを、執事の男が歩いている。

 ロアはなるべくゆっくり歩いた。
 今日のシェルは、なんだか様子がおかしい。

「……なんかあった?」

 ロアはシェルに問いかける。

「うん。あった」

 シェルはぼそりとそう呟いた。

「ルイスが王子さまって話したじゃん。あれ、イヤだなって思ったんだ」
「嫉妬……?」
「違うよ」

 シェルはめずらしく元気のない様子で言う。
 溜息を吐いて、夜空を見上げた。

「王子ってそんないいものじゃないって、思ったんだよね」

 ロアは目を見開いた。
 シェルがまさか、そんな話をすると思ってなかったから。

「ルイスに同じ思い、してほしくないって言うか……。ごめん。重いね」
「ううん。いいよ重くて」
「嫌だったな~で終わる話なんだけどさ。なんか、聞いてほしくて」

 シェルはそう言うと、ロアに向かって笑いかけた。

「ありがとう。すっきりした」

 そんなはずない。
 だってなにも言っていない。
 きっと少しも役に立っていない。

「そう。それなら良かった」

 しかしロアは、そう返事をするしかなかった。

 恐怖だった。
 シェルが暗い影を落とすのではないかという恐怖。
 もしそうなら、どうしたらいいのかという恐怖。

 今日の夜は、すごく怖い。

 あっと言う間に家に着いて、二人は向かい合った。

「送ってくれてありがとう。シェル」
「おやすみ、ロア」
「うん。……おやすみ、シェル」

 ロアが玄関の中から手を振ると、シェルはいつも通りの笑顔でロアに手を振り返した。

 ドアが、パタンと閉まる。

 もしも二度目の人生と同じ未来が来たら、どうしよう。
 シェルの絶望は、今すぐ訪れるものじゃない。
 弟の死を含めて、長い時間をかけて、シェルの中に溜まるものなのかもしれない。

 一体、なにができる?

 ロアは踵を返して、廊下を歩きだした。

 不思議な気持ちだった。
 今日あった感情を、ひとつひとつ手放しているような。重たい鎧をひとつひとつ脱いでいるような。

 居間の扉を開く頃には、ロアの中には〝恐怖を感じた〟という事実だけがあった。

「おかえり」

 居間ではリディアがいつものロッキングチェアに座って、本を読んでいた。

 暖炉の火が、ぱち、と乾いた音を立てる。
 その音に背中を押されるようにして、ロアは口を開いた。

「議論しよう。おばあちゃん」

 ロアの声に、リディアはページをめくろうとしていた手を止めた。

「怖さって何だと思う?」
「お前からの初めての議題だな」

 リディアは開いたままの本の上で指を組んだ。

「怖さ。つまり恐怖とは、胸の内に閉じ込めようとするほど大きくなる化け物だ」

 血がたぎるような錯覚だった。

 時を早く進めてでも、答えを先回りして知りたい。

 トク、トク、と心臓は静かなふりをして鳴っている。
 その裏で、焦りにも似た熱が、じわりと広がっていた。
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