海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
有昧王は―⋯ずっと黙り続けている。泥流と死骸の渦中にあって、その瞳はただ一点、因果の糸がほつれた特異点を探り当てようと、峻烈に研ぎ澄まされてる。
その鋭すぎる双眸が、いずれこの地獄を終わらせるための唯一の綻びを探し当て、そこへ自分自身を縫い付ける覚悟でも決めたのだろうか―⋯?
帝王の力さえ及ばぬ、この最北の地の秩序さえ⋯正そうとしているのだろうか?

惨状を映している筈の瞳。その 眼高(がんか)に宿る光は、吸い込まれるほどに⋯美しい。


私は不意に⋯彼に問うた。

「有昧⋯伯。この音は?」

「鐘山に眠る太古の氷が、焼かれているのだろう。融解した雪が麓に流れて、泥流が襲う。愚強、民の避難は?」
焦りの色も見せずに、淡々と言葉を並べる。

「残っている兵が、点在する岩壁の堤の上へと。それから女子供は⋯遠方の有昧の地に運ばせてもらいました。断りなく不敬は承知ですが急を要したので、どうかお許しを」

(そうか⋯、愚強はだから有昧の地に来ていたのか)

「⋯⋯それでいい。早急に導水しまずは川の氾濫を防ぐ策を。―⋯この熱の原因は?」

「おそらく⋯⋯」


2人は⋯黙り込んで。
ここからは未だ見えぬ、その頂を眺めていた。


すると⋯、足音も立てずに、まるで霧を掻き分けるかのようにして⋯近づいてくる影があった。
ゆらりと陽炎のように、姿形が⋯見えてきた頃。

「⋯海棠、遅かったじゃないか」
―⋯と⋯、その影が私に向かって話しかけてきた。

この、緊迫した状況下においても落ち着き払った心地の良い声。

その、正体は―⋯

「⋯⋯博益殿!」

その、確かなる存在。
にこりと口角を上げて、博益は堂々とその存在を⋯知らしめるのであった。

その後ろから、ピョンと跳ねるようにして現れたのは⋯

「海棠っ、有昧伯―っ」
そう。愚強に連れ去られていた、あの、福であった。
両手いっぱい広げて、その再会を熱い抱擁で⋯と思ったのに。

福は軽やかにジャンプすると⋯体をくるっと翻して。
そのモフモフの尻尾で、私の顔を⋯ファサっと叩いて着地を決めるのであった。

うん。期待を裏切らないツンデレめ。



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