海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
「⋯⋯燭陰」
私は不意に⋯口を開いた。
「貴方が話せば⋯息を吹けば、また時節が変わり混乱を招くかもしれない。貴方は自身で誰よりもその道理を理解してる。⋯違う?」
燭陰は驚いたかのように目を見開いて。
その瞳の中に⋯私の姿を映し出す。
「博益。どんなに⋯情に訴えかけようが、この者は動かないし、動けない。嘆いても、喚きたくてもできない。できるならとっくにそうしてる。考え方としては、この世の【システム】そのものであると、彼を捉えるべき」
「しすてむ⋯?」
「貴方はあまねく山河を巡り、万物の名をその書に記そうとしているでしょう?でも、それら無数の生き物や山川が、なぜ互いに背くことなく一つの世を成しているか、考えたことは?―⋯この世のすべては目に見えぬ糸で結ばれた『連環(れんかん)』の中にあります。燭陰、この者は単なる巨大な神獣ではない。万物を繋ぎ合わせる『連環の結び目』そのものなのです。開眼すれば光が溢れて昼となり、閉眼すれば闇が降りて夜となる。その呼吸一つで、季節の巡りという鎖が一段ずつ動く。これは個別の奇跡ではなく、一つの動きが次なる動きを呼び、全体を滞りなく回し続ける『理の仕掛け』にほかならない。
一個の歯車が動けば、連なるすべての輪が回るように、燭陰という根源が動くことで、天の星々も、地の草木も、我ら人の営みさえも、一つの巨大な『秩序の環』の中へ組み込まれていく。
この、個が全体を生かし、全体が個を縛る、逃れられぬ連動の仕組み。私がかつていた地ではそれを『システム』と呼び、この世の正体であると説くのです。貴殿が記すその書も、すべてはこの燭陰という大きな環の中に収まる、連環の一節にすぎない」
「⋯⋯⋯」
情に熱く、傷を癒そうというその考えは、絶対的に正しく⋯誤りなどない。
けれど、問題の本質はそこではない。
「燭陰は⋯時節を操ってはいない。ギリギリのところで―⋯踏みとどまっている」
「⋯⋯?」
「この夏は、燭陰の身体から放たれている。山の氷や雪が著しく溶け出しているのも、そのせい。地上は温かく⋯緩やかに時節を変化させているように感じた。でも、おかしなことに⋯ここが山頂である筈なのに、気温は更に⋯上昇している。見て、博益。私の額にも、貴方のにも、汗が浮かび⋯流れているでしょう?」
博益はハッとした顔つきで、己の手の甲を額にあてると。再度⋯私の方をみた。