海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
冷たい女だと思うでしょう。
でも、一刻の猶予もないであろう今、そんな自分のちっぽけなプライドなど必要もない。

「その長い身体で熱を世界に拡げて行っている。私が昨夜滞在した島でも⋯白夜が訪れていた。このままでは、いずれ王朝の基盤である中原(ちゅうげん)にも影響が及んでいくことは明らか。これは⋯単なるシステムの異常と捉えた方がいい。同情など意味をなさない」

「⋯海棠。そなたは何を言いたいのだ?」

「博益。あの【シュン】が私たちの前に現れた時に⋯あの者は、私から跳ね除けるようにして離れたよね」

「⋯⋯⋯」

「有昧伯が私の左腕に施した邪気を祓う腕輪が、今―⋯強く反応してる。しかも、感じるその【気】は、シュンに感じたそのものと全く同じだなんて⋯偶然ではないでしょう」

見えもしない、腕輪。
私の左腕からは―⋯キシキシと妙な音が響いて。
燭陰のその熱にまるで反発しているようだった。


「燭陰。貴方は自分の身体で⋯息子が撒く熱を、その邪気を、背負い続けているのでは?」


燭陰の粛々として無私な瞳は。
個を憐れむ慈悲もなければ、滅ぼす悪意もない。なのに⋯いつの間にか藹然(あいぜん)として、万物を包容するがの如く⋯私の不遜さをも無効にしていく。
その熱とは乖離する、温かい陽だまりのような⋯瞳だ。


それは⋯きっと彼なりの肯定であったのだろう。

ならば、話は早い。

「博益。⋯いい?これは、ただのシステムの異常。ならばそれを戻すのみ」

「⋯策があると言うのか?」

「エラーを直す。即ち、熱を治める。選択肢は始めからその一択」

「⋯⋯そなたはそれをどのように考える?」

「夏王朝に住む者であれば、禹王の治水は知っているはず。貴方のような高貴な方ならなお、その手法はより詳しくご存じでは?」

「⋯⋯。一介の旅人がなぜそれを知ると?」

「⋯⋯それは⋯失礼を。説明するなれば、先ほど伝えた連環(れんかん)の考え。禹王は治水の際、一箇所の土手を築くだけでは川は収まらぬと知っておられた。上流の雨、中流の土砂、下流の潮、それらすべてが連環(つながり)を成しているからこそ、水は動く。燭陰の熱また、それと同じ。河の一滴だけを見て水害を語るような真似はしてはいけない。つまり⋯導水、いえ、導熱の陣を講じましょう。必要な場所に熱を流し、世の道理を戻す」

「さて⋯。それはどのように?」

「答えだけを記すつもり?貴方は名をつける時でさえ、自分が実際に見たその背景を重視するのでしょう?編纂とは、ただ紙面上で整理整頓するだけな
の?貴方は―⋯違うよね。わざわざ遠方から【シュン】を追って来たんだから。史実を調査する過程こそに、その意義が隠れている。ならば⋯、ただの傍観者に成り下がろうだなんて馬鹿な考えはしないはず。⋯陣というのは、相手の出方次第で流動的に変えていくものです。誰がその答えを知るというの?その流れに、貴方も乗るべきでしょう。動かそう、共に。筆に乗せるべき運命を⋯編纂していこう」


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