海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
これがそのスタートである。

私は、博益と向き合い―⋯頭を下げて、敬意を込め、挨拶をする。
この人は⋯おそらく、敵なんかではない。ならば手を携え協力していく、強力な伴走者になり得るのではないか?

サッカーにおけるリスペクト精神。試合開始の儀式。私達は、ギュッと手を手を握り⋯握手を交わす。

けれどその相棒は、語る。
痛いくらいに、手を―⋯握ったまま。

「正直に言おう、海棠よ。そなたのその知略は、一介の人間ではその欠片すら思い描けぬものであると」

「⋯⋯⋯」

「なぜそなたが人間で、なぜこの()に馴染み、なぜ⋯陣を描けるのか。それを疑問に感じたことは⋯ないか?」

「⋯うーん。なぜ、と言われても、元よりそういう性格で、あと人よりちょっと中国史に詳しいかもということと、三国志を愛読していたのが相俟って形成された人間だろうなあ、としか言いようがないのだけれど」

「⋯⋯。世の理が見え、導こうなどとの意図もなく?」

「博益。そんな大層なことを考えるより、目の前の困難にまず向き合わないと。言ったでしょう?連環であると。全てが繋がっているのだとすれば、全体を見て、それからその一滴一滴に効率よく対峙する他ない」

「⋯⋯それが導きであると、言っているのだ」

「博益。仮にそうだとしても、それが何だと言うの?」

「自分自身が何者であるのか。そなたの疑問でもあったであろう?答えが気にならぬのか?」


射抜くような瞳が⋯真っ直ぐに、真っ直ぐに私の心の臓を刺していく。
私は、博益の大きなその手を払い退けて⋯それでも逃げずに、答えた。

「貴方はまたすぐに答えを出そうとする」

「⋯⋯!」

「対極の性格なんだね、私たち。白か黒かをつけたがる貴方とは、まあ⋯意見は合わずとも、互いに気づきを得る最良の相手とも言える。博益、いい?今は私はそんなことはどうでもいい。⋯地上の声が⋯貴方には聞こえる?この霧で見えこそしないけれど、私の考えることに協調した者が⋯既に動き出しているようだけど。いえ、独自に判断し先手をとったともいうべき。【拙速(せっそく)巧遅(こうち)に勝る】。孫子の兵法に合致する。とうの昔からこの兵法は成り立っていたのに、言葉で記す者がいなかっただけなのかも。おそらくその者は準備も計画もせずに無謀に動いているのではないはず。先ず勝つべからざるを為す、負けない体制を整えた上で、機会を捉えたら素早く行動に移す、という戦略的なスピード感を重視した策でしょう。そういう男を、私は一人知ってる。人間である私が描けずとも、ここにはそれを実現できる者がいる」

「有昧伯⋯か?」

「面白いじゃない?私が描く陣を既に敷く者がいて、そして目の前に⋯それを言葉で残せる者がいる。大物揃いで、本当、鳥肌が立つ。博益。私の存在理由は今はそれで十分。今できることをするのみ。それが私で、私の生き方でもある。だから⋯貴方はまずは⋯燭陰に経緯を説明し、承諾を得る(シロクロつける)べきじゃない?その後のことは、自分の心に従って、判断を」

私は、漆黒の鳥の背の上で、一歩、また一歩と後退して。


「燭陰。大丈夫、⋯任せて」

燭陰へとそう約束して⋯、博益へと宣言する。


「では、博益。⋯お先に!」


後方へと倒れ込むようにして⋯

北冥の地へと、あの者がいる場所へと、飛び立っていったのだった。


本当に不思議だ。
この儚い命を失うなどとは―⋯微塵にも思わないからだ。

この妙な度胸と、謎の確信は確かに⋯
博益に、人間の所存ではないと言わしめる理由となり得そうだ。


そんなことを考えながら⋯、かつて海上を浮遊したその時ように。
空で背浮きのポーズを披露するのであった。

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