海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
6章 鸞翔鳳集〜極北に集う傑物たち〜
第21話 翻る異端 ―― 揺れる商旗と、北溟の穿孔(ドリル) ――
誰しもが目の前の困難へと抗って―⋯汗と、血と、泥にまみれたー⋯半刻。延々と続くのではないかと―⋯辟易する心を何度も律しつつも、その疲れは隠す事もできずに、奪われていく気力。
手にした資源も足りるのであろうか。物資はどのくらいだろうか。
全ての把握は困難を極めて。
同時にそのくらい―⋯追い込まれていた。
泥水に沈みかけた者を複数人で懸命に引きずり上げて、すぐさま容体を確認する。
「⋯⋯」
もう何人目であろうか?私は小さく首を振って、周囲の者へとその訃報を知らせる。
トリアージ⋯黒。
その者の手をとり、臍の上に両手を組むようにして乗せようとした時だった。
その、動かなくなった者がギュッと何かを握りしめていることに気づく。
「⋯⋯石?」
(この者のトリアージの印として、これを使おう)
指を1本ずつ解いて、取り出してみると。
それは泥にまみれた―⋯歪な形をした石のような黒い塊であった。
石なのに、だ。それはまるで何も持っていない程に軽い。それに⋯、指先に伝わる僅かな温もり。
男が握りしめていたからか?
「⋯⋯?」
衣で汚れを擦るようにしていくと。
僅かに透けて見えるような⋯。
「松脂の⋯化石か」
泥水に沈まぬよう、浮いていたこれを必死に掴んだのかもしれない。溺れる者は藁をも掴む、と言うが⋯きっとこれが、この無機質で混沌とした現場で、生き抜こうと藻搔き掴みとった唯一の温もりだったのだろう。
博益の弔いの笛の音色に、ふと―⋯顔を上げて。空に祈りを捧げる。
――その時であった。
その音色をかき消すかのように。山々が唸りをあげているような―⋯重厚な足音と共に。
列を成してやって来る、大勢の部隊が⋯鐘山の麓に向かって来るのが見えたのだった。
視野の左側。その列を先導するのは⋯琥珀色の衣を着た、一人の男。
それに連なる牛の列。その背に⋯荷物を乗せている。
部隊の者もまた、背負子に荷を詰め、天秤や大橇で―⋯沢山の物を運んでいるようであった。ものすごい⋯数だ。
愚強の風に激しく煽られ―⋯靡く沢山の旗。
そこに掲げたれたひと文字に、戦慄が⋯走る。
「え⋯⋯?【商】?」
【商】。それは⋯歴史上、次の王朝になる勢力の名。殷という名でも知られるが⋯。
「⋯⋯⋯」
まだ夏王朝が誕生したばかりであろう時代に、商が既に台頭し、その名を―⋯誇示してる?それは⋯歴史の歪み、完全なるバグに相当するのだ。
「まさか―⋯歴史を改変した⋯?」
勝手なことばかりした代償であろうか?
この混乱を期に、北溟を奪いに来たというのだろうか?
夏王朝が存在したかどうかと定かではないのは―⋯まさか、既に商が台頭し、その権力を奪っていたから?
「とんでもないのが⋯現れた」
驚くままに。今度は―⋯右側から。砂煙を上げてやって来る部隊があった。
革の鎧を着た屈強な男たちが―⋯あの男を先導にして、やって来たのだ。
「⋯⋯有昧后?」
けれどそれは⋯有昧や中原の男たちとは異なるスタイル。
獣の頭部のような被り物をする者もいれば⋯、顔に紋様を描き、辮髪を靡かせる者もいる。
ズボンのような袴は⋯夏王朝においては珍しい。
モンゴル系の人達⋯だろうか?
脅威を感じる異民族。その迫力たるは―⋯鬼気迫る、まさに鬼の如く。
その異民族と思わしき部隊は、有昧后の手が掲げられたのを合図のようにして⋯一斉に散らばって行った。
その手には―⋯弓や刀、妙な農工具のような物を握って。
悪獣をなぎ倒す者に、ひと突きする者。
果敢にも、川に身を投げて。ドリルのような杭を穿つ者。
戦況が―⋯一気にひっくり返っていく。
博益が知らせる笛の音を、有昧后は瞬時に理解し、指示を重ねていく。そのスピード感たるや―⋯まさに、圧巻である。
何度も私の側を通過し、―⋯縫うようにして⋯駆けていく。
その機動力は⋯まさに神のような助けであった。
するとどうだ?
有昧后は―⋯泥と灰とで真っ黒になった私の手を掴むと。そのままひょい、と私の身体を持ち上げて。その肩に乗せたまま―⋯霧の中を走っていく。
どんな労いの言葉を掛けられるのかと待っていたけれど。
特段―⋯会話もなかった。
手にした資源も足りるのであろうか。物資はどのくらいだろうか。
全ての把握は困難を極めて。
同時にそのくらい―⋯追い込まれていた。
泥水に沈みかけた者を複数人で懸命に引きずり上げて、すぐさま容体を確認する。
「⋯⋯」
もう何人目であろうか?私は小さく首を振って、周囲の者へとその訃報を知らせる。
トリアージ⋯黒。
その者の手をとり、臍の上に両手を組むようにして乗せようとした時だった。
その、動かなくなった者がギュッと何かを握りしめていることに気づく。
「⋯⋯石?」
(この者のトリアージの印として、これを使おう)
指を1本ずつ解いて、取り出してみると。
それは泥にまみれた―⋯歪な形をした石のような黒い塊であった。
石なのに、だ。それはまるで何も持っていない程に軽い。それに⋯、指先に伝わる僅かな温もり。
男が握りしめていたからか?
「⋯⋯?」
衣で汚れを擦るようにしていくと。
僅かに透けて見えるような⋯。
「松脂の⋯化石か」
泥水に沈まぬよう、浮いていたこれを必死に掴んだのかもしれない。溺れる者は藁をも掴む、と言うが⋯きっとこれが、この無機質で混沌とした現場で、生き抜こうと藻搔き掴みとった唯一の温もりだったのだろう。
博益の弔いの笛の音色に、ふと―⋯顔を上げて。空に祈りを捧げる。
――その時であった。
その音色をかき消すかのように。山々が唸りをあげているような―⋯重厚な足音と共に。
列を成してやって来る、大勢の部隊が⋯鐘山の麓に向かって来るのが見えたのだった。
視野の左側。その列を先導するのは⋯琥珀色の衣を着た、一人の男。
それに連なる牛の列。その背に⋯荷物を乗せている。
部隊の者もまた、背負子に荷を詰め、天秤や大橇で―⋯沢山の物を運んでいるようであった。ものすごい⋯数だ。
愚強の風に激しく煽られ―⋯靡く沢山の旗。
そこに掲げたれたひと文字に、戦慄が⋯走る。
「え⋯⋯?【商】?」
【商】。それは⋯歴史上、次の王朝になる勢力の名。殷という名でも知られるが⋯。
「⋯⋯⋯」
まだ夏王朝が誕生したばかりであろう時代に、商が既に台頭し、その名を―⋯誇示してる?それは⋯歴史の歪み、完全なるバグに相当するのだ。
「まさか―⋯歴史を改変した⋯?」
勝手なことばかりした代償であろうか?
この混乱を期に、北溟を奪いに来たというのだろうか?
夏王朝が存在したかどうかと定かではないのは―⋯まさか、既に商が台頭し、その権力を奪っていたから?
「とんでもないのが⋯現れた」
驚くままに。今度は―⋯右側から。砂煙を上げてやって来る部隊があった。
革の鎧を着た屈強な男たちが―⋯あの男を先導にして、やって来たのだ。
「⋯⋯有昧后?」
けれどそれは⋯有昧や中原の男たちとは異なるスタイル。
獣の頭部のような被り物をする者もいれば⋯、顔に紋様を描き、辮髪を靡かせる者もいる。
ズボンのような袴は⋯夏王朝においては珍しい。
モンゴル系の人達⋯だろうか?
脅威を感じる異民族。その迫力たるは―⋯鬼気迫る、まさに鬼の如く。
その異民族と思わしき部隊は、有昧后の手が掲げられたのを合図のようにして⋯一斉に散らばって行った。
その手には―⋯弓や刀、妙な農工具のような物を握って。
悪獣をなぎ倒す者に、ひと突きする者。
果敢にも、川に身を投げて。ドリルのような杭を穿つ者。
戦況が―⋯一気にひっくり返っていく。
博益が知らせる笛の音を、有昧后は瞬時に理解し、指示を重ねていく。そのスピード感たるや―⋯まさに、圧巻である。
何度も私の側を通過し、―⋯縫うようにして⋯駆けていく。
その機動力は⋯まさに神のような助けであった。
するとどうだ?
有昧后は―⋯泥と灰とで真っ黒になった私の手を掴むと。そのままひょい、と私の身体を持ち上げて。その肩に乗せたまま―⋯霧の中を走っていく。
どんな労いの言葉を掛けられるのかと待っていたけれど。
特段―⋯会話もなかった。