海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
葆江は、崑崙を守る浮游―⋯いや、陸吾の臣下として任務の遂行中に殺されていた。

そう。燭陰の息子である、()とその友人である欽鴀(きんぴ)という名の2人の神の共謀によって手を下された―⋯前代未聞の同族殺しの被害者である。

かつて陸吾が管理した崑崙の土の中や氷の奥には、意思を持たずにただ「生き続け、増殖し続ける」不滅の肉塊があった。「いくら切り取っても、翌日には元の形に再生する」という異常な生命力ですを持つその生命体は、肉芝(にくしば)と呼ばれる。死という概念が一切なく、文字通り「不老不死の遺伝子」そのものである。

陸吾はこれらを採取し、届けようとしていた相手がいる。それこそが、西北の最果てに君臨し、天の災厄と刑罰を司る絶対の母神・西王母(せいおうぼ)であった。彼女は、生と死の境界線を握る神であり、不老不死の金丹を創り出す調合師でもある。陸吾が崑崙山で採取した生の肉芝も、西王母が持つ「聖なる炉」の火でその凶暴な増殖力を焼き尽くし、精錬せねば、その性質―⋯【元の形に再生する】という異常な生命力は、ただの肉体を食い破る呪いの塊でしかない。

崑崙に仕える者たちは―⋯その性質をよく知り、決して食そうとはしなかった。

―⋯が、よそ者は知る由もない。

陸吾はこの肉芝(にくしば)を最も信頼できる部下に預けて、西王母の元へと運んでいた。その重要な任務を担ったのが、葆江である。

そのルートは、誰にも知らされぬ秘匿の密輸ルートでもあった。天帝すら知り得ないその道を知るのは、西王母と、その道を拓いた陸吾と、運び屋である葆江だけである。

崑崙の南側は、怪鳥・凶獣が巣食う荒地。そうであるからこそ、人々が近づかない死角の道として機能していた。

この事件が勃発するまでは。

その日―⋯陸吾は、南側の空で不穏な鳴き声をあげる怪鳥の集団に、妙な違和感を覚えた。

直ぐ様、その裏道へと向かい―⋯途中で、黒い影が2つ、北の方向へと飛び去って行くのが見えた。

ルートから少し外れた、生い茂った森を掻き分けて進んで行くと。薙ぎ倒された草地の上には―⋯生々しい血の広がりと共に、葆江がその中心に横たわっていた。

陸吾は―⋯声にならない声を上げて。必死に駆けて手を伸ばす。

死ぬな、と。そう―⋯心から願って。

血にまみれた葆江の手が、その指先が、震えながら北の方角を指していた。

何かを伝えようとした彼の元へと陸吾が辿り着くその前に。葆江のその手は、ボトリ、と地面へと落ちた。

無残にも―⋯心の臓を刺されて。その元神(魂)すら残されずに消滅した【魂飛魄散】。それは⋯輪廻転生すら許されず、この世から完全に存在が消えてなくなる最も惨く、絶対的な死を意味した。

陸吾はその瞳に、こみ上げてくる熱を灯して。救えなかった葆江の亡骸を前に、一瞬の迷いも乗せない形相で立ち上がった。

天帝へ報告を上げれば、官僚たちの精査によって数日、いや数週間の遅れが出る。その間に犯人は北の果てへ逃げ延びるだろう。

太陽の光さえ届かぬ北の地には、天帝すら力が及ばぬ神が鎮座する。調査は―⋯困難を極めるだろう。

(西王母へ、直ちに報せを)

陸吾は徐に両手の人差し指と中指を立て、それを胸の前で交差させる。

周囲の埃や石が重力を失ってフワリと浮き上がり―⋯彼がその「剣指」を天空へと鋭く突き出した瞬間――【光伝(こうでん)】が発動した。

彼の身体から、目が眩むほどの黄金の光柱が爆発的な音を立てて天を衝き、それは一条の巨大な流星となって、西王母の元へ空の割れ目を引き裂きながら瞬時に翔けていった。

天界の法を無視した、あまりにも傲慢で、しかし誰よりも忠実な「緊急急報」であった。

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