海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
もうもうと泥の煙が周囲を襲い、その姿が徐々に露わになると。

たった一本の矢が、【虎の爪】⋯その足部分に突き刺さっているのが見えた。ピク、ピクと足が痙攣している。

大顎は顔だけぐるりと360度動かして。その矢を放った犯人を捜しているようだった。

猛禽類特有の、獲物を狙うような瞳。その瞳孔だけがまるで人間の憎悪の形に変形し、ぞっとするほど生々しい知性を宿してギラリと蠢めいていた。皆一様に背を向けて、決して目を合わすまいと避ける中で⋯たったの1人。

仁王立ちし、手にした槍をドンと地面に打ちつけて。あの男だけが、真正面からその視線を受け止めていた。

「有昧伯には⋯通用せぬのか?」

博益の呑気な分析に、つい吹き出してしまいそうになる。けれどその分析は遠からず。

おそらく矢を射た犯人も、彼であろう。戦乱の呪いの錯覚に陥っているのは、まるで相手側であるかのようだった。

構図の、逆転。

まさに射抜くような、殺気を纏う峻烈な視線が⋯大鶚の痙攣を全身に渡らせていく。

「なぜ大鶚はあんなに恐れて⋯?」

そして、有昧后。

これほどの殺気を宿す彼を、今までかつて見たこともない。

槍を持つ彼の手から⋯ぽた、ぽた、と血が滴り落ちる。

「⋯⋯⋯」

以前、彼は言っていた。

霊力を与えずとも、血を一滴落とすだけで、格段にその殺傷率は上がる、と。

「自分を傷つけてまで、あの凶獣にそれをする価値があるとでも?⋯賢い筈なのに、何て馬鹿なマネを」

すると⋯有昧后は、槍をもうひと突きして。

「行くぞ」

と、ひと言。こっちを向いて、言い放った。

「ちょ、待ってよ」

この凶獣にトドメは刺さずに去るのか?とそう問おうとして辞めた。

その懸念は、想像の斜め上をいく発言によって、解消されたからだ。

「言われずともこの者は従うであろうが、お前から伝えよ」

博益へと―⋯まるで面倒事を押しつけるかのようにして、告げたのだ。

「はいはい。何て伝えれば?」

博益もまた、そう簡単にいなす度量の大きさは⋯もはや神級のそれである。

「忘川へとついて来い、と」

ぎょ、としたのは⋯私だけだったのかもしれない。博益という男もまた、この凶獣を恐れてなどいなかったのであろう。そうでなければ、終始落ち着いて、呑気に解説などするまい。

予感は、的中であった。

博益は鳥獣と心を通わせることができる、不思議な男。まるで気の毒そうに大鶚の頭を撫でて⋯その優しい手つきとは裏腹に、しっかりと目を見て、正確に、有昧后の意図を告げるのだ。

「忘川について来い。⋯返事は一択だ」

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