海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
全ては、可能性であり⋯真実はない。けれど、理にかなった考え方で仮定していく。

「海棠。何をそんなに―⋯恐れている?口数多く、かような早口で⋯普段の姿からは想像すらできぬ姿であることに、気づいてはいまい?」

「⋯⋯⋯」

「怖いのであろう、この川を渡るのが。それは⋯知らぬからだ。知った上で、その怖さに対峙していく姿こそが、元来の【海棠】そのものの性格だ。ならば、知識として教えよう。正しく怯えて、そして頼るがいい。⋯そなたは今、一人じゃない」

博益はそう言って。

この忘川のことを、徐に語りだした。

契に感じたそれと同じで、順序立てして、かつわかり易くまとめて、端的に。

「忘川は、死者が必ず渡る川であり、渡りきれば冥界へと行ける。そして⋯渡っている間に今生の記憶は徐々に失われていくのだ。無事に冥界へと着くとしよう。そこでは生前の業を徹底的に調べられる審判があり、その行いに応じて人間界や天妖界への転生が決まる。記憶がないからこそ、誤魔化しはきかない。大概は正しく判断される」

(ああ、これが秦広王や閻魔の審判か)

「待って。でもそもそも皆、無事に渡れるものなの?」

「いや。そこで自我が強く渡ろうとしない者もいるが―⋯そういった者には罰が下されると聞く」

「⋯どんな?」

「さあ。それもまた、その者に合わせた罰なのでは?それに⋯正しく冥界へ行けず、渡り続けて身体が朽ちて悪獣に生まれ変わる者もいる。生前に罪を犯した者に多く、おそらく強い未練があるか納得できないなど多岐に渡る理由があるのだろう」

「じゃあ⋯善人だけど渡れない者も?」

「それも然り。やはり人の執着というのは測りしれぬものだ。心配事で、死んでも死にきれない者はいるであろう。生前に善行を重ねている者であれば、例え川を渡れずとも審判を必要とされずに記憶を抹消され輪廻転生する。但し⋯、だ。その世界で輪廻転生を繰り返す存在になる。それは―⋯天族であろうが、人間であろうが、その定めに抗うことはできない。つまり、だ。忘川というものは、神の力が及ばない領域と言えよう」

「それは―⋯博益の言うように、正しく恐れるべきだね。結局の所は―⋯その者の業が全てを決めるのだから。ここで暴れたら、いくらそれまでの行いが良くても現行犯逮捕モノだ。危ない危ない、やらかしそうだった、私」

「⋯⋯そのくらいの度胸があるというのに、全く何を怖じ気づいていたのか」

「⋯⋯。ねえ、死んでもいないのに、忘川に入ることは?可能なの?」

「この世に未練がなく、死を望む場合か?自殺行為で忘川を渡ることは禁じられていて、有昧后やその臣下、冥界の者がその行為を基本は許さない。だが、事実上は認められていなくても―⋯監視の目を掻い潜り、入水するものがいることは周知の事実」

「じゃあ、他者の手によって⋯」

「もちろん。人間には不可能であるが、天妖の者には可能だ。そういう罰もあるからだ。要するに、天族が罪として神を裁き、その罰として⋯投げ入れられることだってある。この忘川がこの世に存在している限りは、延々とあることだろう」

「なるほど―⋯。ねえ、博益」

「ん?」

「私は、人間界で多分死んだとさっき話したよね。覚えてはないけど、漠然とそう確信してる。それに⋯有昧伯が治療してくれたけれど、その傷跡を見て、生きていたと仮定するにはどうにも無理がある」

心臓をひと刺し。

そういった、一瞬で命を失い―⋯死に目すら気づかぬ慟哭だったのではないだろうか。

時折襲ってくる、死へ直結するような恐怖は。フラッシュバックそのものであると仮定すれば。

死に方―⋯?自殺?他殺?それとも、事故?

それは、想像したくもない。

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