海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
さて、福が【コシ】に本腰を入れはじめ―⋯翌朝分の麺作りが本格化する頃。
私は、契と向き合い―⋯交渉へと移る。
1つは、石鹸づくりの継続だ。けれど契は既にその効能へと期待を寄せ、鼻からそのつもりだと悠然と答える。
「傷寒を放置すれば、それはやがて軍営全体を飲み込む大疫(たいえき)になるであろう。これはその流行を抑えるべく一助となるのでは?」と。
話が早い。
「この地の油洗文化も理にかなっています。羊脂で皮膚を保護する役目が。両者を併用すれば、よりその効果は絶大となるでしょう。鐘山やこの北の地の資源は、どこよりも豊富です。燻煙文化、獣を狩る文化、油洗文化、それに⋯石鹸文化が加わる。愚強がいれば、良質な塩だっていくらでも、すぐに手に入ります」
よもやすると―⋯すでに、この石鹸なる物はこの時代の北の地に確立していたものかもしれないな、と。歴史の裏側を見たような気がして⋯何だか興奮を覚えるのであった。
良き交易相手と成り得る、と。彼の頭では勘定していることだろう。

私は、更なる交渉へとフェーズを上げていく。
「それと、提案が。契さんは、帳簿つけや在庫管理の記録、契約書、五教の普及活動等など、その仕事は多岐にわたりますが―⋯、それらを記録するのに、いちいち木や竹を削っていては、効率も悪く時間が勿体なくありませんか?それを解消する物を、私と貴方であれば創り出すことが可能かと」
そう。これは―⋯有昧后や博益も然り。【刻む】からこそその重みは増すのであろうが⋯それではタイパが悪すぎて悪すぎて。【書く】ことさえできれば、もっと多くのことを一気に処理できる。

つまり、だ。紙、筆、墨があることの利点を説く。効率と利便性。そして低コスト。例によって、実行力が圧倒的に優れる契の腕を利用しない手はない。とはいえ―⋯食文化はギリ良いとしても、この歴史を変容し過ぎるのも怖い。
だから、知識を無償で提供するけれど、まだ商品にはしないであくまでも自分用にと、特許のような話を前提に共同開発のビジネス話だ。

「石鹸の製造過程の材料でできます。まず灰汁を火にかけ、植物を煮出して不要な部分を溶かす。植物繊維だけを残し、それを漉けば―⋯、紙の完成です。その紙に、 墨を走らせ【書く】のです。煤と動物脂を混ぜ、その配合で濃淡をつけていきます。そうすれば―⋯雨にも溶けぬ油性インクとなります。削刀に代えて、我々が持つのは【筆】です。獣の束に、その【墨】を染み込ませ書くことができるようになります。しばらくここに滞在するのであれば、何も手もせずに帰るよりも遥かに良いのでは」

この交渉がどうなったか、って?

無論、成立の一択である。

< 191 / 213 >

この作品をシェア

pagetop