海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
「さすれば―⋯こちらからも、そなたに贈ろうではないか。他者の利ばかりを進言し、自身の徳への褒美がないなどやるせないであろう?」

契は密かに商から持ってきたという壺を目の前まで運んで来ると。

琥珀色のその液体を見せて「これは希少な荏胡麻の油だ」と呟く。

「灯火用に持って来たが、白夜が続き、今宵ようやくその役割を果たしている所だ。使う必要がなかったゆえ―⋯まだ大量に余っている」

「エゴマ油―⋯」

現代における、健康食としてかの有名な。

「獣脂と違い、香り高く、煤もさほど出ない。この寒さでも固まることもなく、安定し美しく澄んだ光を放つ」

「⋯⋯」

なんとなく、イメージできる。料理で言えば、サラダ油やオリーブ油の軽やかで癖のない味わいが、植物油の特徴だ。

「どうだ?これで自身の為に石鹸を作ってみては」

私は、契の手解きを受けながら⋯ああ、小学校の行事か何かで作ったことが絶対あったな⋯などとハッキリはしない漠然とした思い出の片鱗を感じる。

さながら⋯契はその【先生】のように見えてくる。ちょっぴりおかしな構図だな、と思いつつ⋯その工程をじっくりと楽しむのだった。

出来上がった石鹸を懐へと入れて。私は再び―⋯外へ出る。

基地へと戻って来た者たちも、そうも簡単に寝付くことも休むこともできぬのだろう。

この崖は、まるで1つの邑のようだった。

こんなにも大勢がいても混み合うこともなく、自然と共存する―⋯邑。高地であるのに、その広さが⋯不思議であった。

「ここはー⋯、その昔。川の氾濫に備えて造られた高台だと北溟の者に聞いた」

契が私の隣りに立ち、そう教えてくれた。

「ああ、なるほど」

「鐘山は禹后の目も届かぬ辺境だ。まさかここにもかような場所があったとは。共工が遺した遺跡であり、地元の者は、ここを共工台と呼ぶのだそうだ。命を救う高台として、今もなお機能しているのだ、と」

「共工台?それって、別の場所に⋯」

「その存在を知っていたか。だから⋯驚いたのだ。他にも存在していたとは、私も知らなかった。中原では悪と呼ばれる者も、北の地では救世主のように崇められているのだな」

「⋯⋯⋯」

私は、基地を後にして、キョロキョロと辺りを見渡す。

あの者は―⋯どこに行ったのか、と。

この暗がりに滅紫の衣が溶け込んでいるのだろう。

< 192 / 213 >

この作品をシェア

pagetop