海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
28話 枯木逢春 〜玄女の印〜
浮游はすぐさま彼女の意識を確認するが、反応が薄い。呼吸は浅く、一見してやはり寝ているようにも見えた。
腕をとり、脈を測ると―⋯その脈拍が、異様に速かった。
彼は迷いなく彼女を肩に担ぎあげると、湖畔へと向かって先を急いだのであった。
天幕を開けて、立ち込めていた蒸気がふわっと二人の顔に押し寄せてきた時であった。
トン、トン、と。
背中を何かで突かれるような感覚がして、浮游は海棠の顔を見る。
彼女は、固く目を閉じたまま首を振っている。1度ならず、2度、3度と。
それは―⋯拒絶である。
意識は混濁していても、蓬の香りと、頬へ触れた蒸気とが、ここが何処であるのかを理解するには十分であった。
(ここは駄目、絶対に)
浮游は、その拒絶にふっと僅かに息を漏らして⋯その場を後にしたのだった。
軍営に戻って来てすぐさま、無人の天幕へと彼女を運び込むと―⋯。それと同時に、主人の命を検知した福が駆けつけてきた。調理場から持ってきたヨモギ湯を、移動式の炉で沸かしながら⋯
「有昧后、これは一体―⋯?」
そう言って、不安そうに熱にうなされる海棠を見つめる。
「人間だからですか?燭陰の熱にあてられて⋯?」
「⋯⋯⋯」
「さっきまで元気そうだったのに」
福は煮沸した麻を冷ますと、浮游へとそれを手渡すや否や、パタパタと音を立てて⋯今度は契の元へと走っていったのだった。
「石蜜と塩の白湯を!!」
あっちへこっちへと走り回る福のその姿を見て、驍大人と囲碁を打っていた契は首を傾げる。
「万民の病を洗う器を創り上げた賢者が、犠牲者として熱病の床に伏すとは。石鹸の宣伝ができなくなるではないか」
「商の若様よ。知首が策に溺れるなどあり得んことだ。心配には及ばん、有昧后が側にいるなら」
碁盤にパチリ、と黒の碁石が置かれる。
「⋯⋯」
盤上をじっと見つめていた契は、深く息を吐き出し、握りしめていた白の碁石を静かに碁笥に戻す。
「参りました」
驍大人はニヤリ、と笑って。
それから―⋯はあ〜、と深くため息をつくのであった。
その頃浮游は、海棠の額から流れる汗を麻布で拭いながら、僅かに動く口元―⋯そこから漏れる吐息に耳を傾けていた。何か―⋯同じことを繰り返し言っているようにも感じるのだ。
海棠は襲ってくる寒さと、混濁する意識の中でも、ぐるぐると考えを巡らせていた。
(燭陰の熱をまるで自分も請け負ったみたいだ)と。
けれど、すぐさまそれを自己否定する。
(いや、この極度のだるさと熱―⋯、身体の痛み。経験したことが⋯ある。アレ、アレだよアレ)
「⋯⋯ザ」
「インフルエン⋯ザ」
「イン⋯フルエン⋯ザ」
浮游はその呟きを聞き逃さなかった。
そして⋯復唱するようにして、呟くのであった。
「印⋯振るえん⋯⋯座⋯?」
浮游の脳裏には、無人島で太極図を描く彼女の姿が思い浮かぶ。人間であるのに、畢方や青鳥を簡単に手玉にとり⋯冥界さえも黙らせた。俯瞰して物事を考え、兵法を難なく語り、堂々と軍を指揮する。そんな人間など―⋯いる筈がない。
全てが―⋯合致していて。もう、否定のしようもないのだ。
彼は、懐に隠している片割れの玉符を、衣の上からギュッと握り潰す。
【印振るえん座】。即ちそれは―⋯脆弱な人間の肉体(座)に魂を縛られ、本来の力(印)を振るうことができない、という警告に近いSOSの意。
腕をとり、脈を測ると―⋯その脈拍が、異様に速かった。
彼は迷いなく彼女を肩に担ぎあげると、湖畔へと向かって先を急いだのであった。
天幕を開けて、立ち込めていた蒸気がふわっと二人の顔に押し寄せてきた時であった。
トン、トン、と。
背中を何かで突かれるような感覚がして、浮游は海棠の顔を見る。
彼女は、固く目を閉じたまま首を振っている。1度ならず、2度、3度と。
それは―⋯拒絶である。
意識は混濁していても、蓬の香りと、頬へ触れた蒸気とが、ここが何処であるのかを理解するには十分であった。
(ここは駄目、絶対に)
浮游は、その拒絶にふっと僅かに息を漏らして⋯その場を後にしたのだった。
軍営に戻って来てすぐさま、無人の天幕へと彼女を運び込むと―⋯。それと同時に、主人の命を検知した福が駆けつけてきた。調理場から持ってきたヨモギ湯を、移動式の炉で沸かしながら⋯
「有昧后、これは一体―⋯?」
そう言って、不安そうに熱にうなされる海棠を見つめる。
「人間だからですか?燭陰の熱にあてられて⋯?」
「⋯⋯⋯」
「さっきまで元気そうだったのに」
福は煮沸した麻を冷ますと、浮游へとそれを手渡すや否や、パタパタと音を立てて⋯今度は契の元へと走っていったのだった。
「石蜜と塩の白湯を!!」
あっちへこっちへと走り回る福のその姿を見て、驍大人と囲碁を打っていた契は首を傾げる。
「万民の病を洗う器を創り上げた賢者が、犠牲者として熱病の床に伏すとは。石鹸の宣伝ができなくなるではないか」
「商の若様よ。知首が策に溺れるなどあり得んことだ。心配には及ばん、有昧后が側にいるなら」
碁盤にパチリ、と黒の碁石が置かれる。
「⋯⋯」
盤上をじっと見つめていた契は、深く息を吐き出し、握りしめていた白の碁石を静かに碁笥に戻す。
「参りました」
驍大人はニヤリ、と笑って。
それから―⋯はあ〜、と深くため息をつくのであった。
その頃浮游は、海棠の額から流れる汗を麻布で拭いながら、僅かに動く口元―⋯そこから漏れる吐息に耳を傾けていた。何か―⋯同じことを繰り返し言っているようにも感じるのだ。
海棠は襲ってくる寒さと、混濁する意識の中でも、ぐるぐると考えを巡らせていた。
(燭陰の熱をまるで自分も請け負ったみたいだ)と。
けれど、すぐさまそれを自己否定する。
(いや、この極度のだるさと熱―⋯、身体の痛み。経験したことが⋯ある。アレ、アレだよアレ)
「⋯⋯ザ」
「インフルエン⋯ザ」
「イン⋯フルエン⋯ザ」
浮游はその呟きを聞き逃さなかった。
そして⋯復唱するようにして、呟くのであった。
「印⋯振るえん⋯⋯座⋯?」
浮游の脳裏には、無人島で太極図を描く彼女の姿が思い浮かぶ。人間であるのに、畢方や青鳥を簡単に手玉にとり⋯冥界さえも黙らせた。俯瞰して物事を考え、兵法を難なく語り、堂々と軍を指揮する。そんな人間など―⋯いる筈がない。
全てが―⋯合致していて。もう、否定のしようもないのだ。
彼は、懐に隠している片割れの玉符を、衣の上からギュッと握り潰す。
【印振るえん座】。即ちそれは―⋯脆弱な人間の肉体(座)に魂を縛られ、本来の力(印)を振るうことができない、という警告に近いSOSの意。