海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
すると―⋯福が、契から貰った経口補助液と、雪を大量に入れた器とを抱えて、慌てた様子で戻って来た。
「どこまで俺をこき使うんだ。全く―⋯厄介な人間だ」
そうプリプリしながらも、小刻みに震えるその手で―⋯白湯を飲ませようとする。
「待て」
浮游はそう言って、彼女の側に座り、身体を起き上がらせると―⋯福に向かって小さく、頷いた。
福は、この白湯が内なる熱を解放させるものだと思っていた。そう、思っていたかったのかもしれない。慎重に、慎重に口へと運ぶが⋯いつものように豪快に飲み干す筈もない。ほんの少しだけ、コクリ、と喉が音を立てたのだった。
意気消沈する福を前に、浮游は己の手を雪の中に埋めて、そのひんやりとした手を海棠の頬へとあてがっていた。
「⋯⋯⋯」
福は、主人のこのような姿は見たことがなかった。普段は、突き放すか、放り投げるか、脅すか、無視をするか。直接的に見た2人の姿は―⋯いつもいつでも、そういった光景だった。そうであるからこそ、不思議でならないのだ。
心配しているようにも見えない。
慌てた様子すらない。
なのに⋯その手は。既に彼女を受け入れているのだ。
(⋯⋯俺の報告のおかげか?)
浮游は、福に博益を呼んでくるように命じると⋯、その博益はものの数分でやって来た。
彼もまた、海棠の脈をみて⋯「無理が祟ったな」と、彼女の額にそっと手を乗せる。
「暫く休ませてやろう」
浮游はその光景を眺めると、この場を任せる、と言わんばかりに滅紫の袖を翻して⋯博益が止めようとするその声を無視してフッと姿を消したのだった。
残された博益は、戸惑いの表情を浮かべつつ⋯海棠の垂れ下がった眉をみて、クスリと笑う。
普段のキリ、とした威勢ある眉が―⋯こうも下がってしまうのか、と眉間をくいっと上げる悪戯を施して。
そして「う〜ん⋯」と海棠が眉をしかめる様子をみて、呑気にまた微笑むのだった。
そう。博益は、若干酒に酔っていたのである。
福は、そんな博益の落ち着きはらった様子に安堵を覚えて。ようやくそこで⋯一息ついたのだった。
「有昧伯に言おうと思っていたが⋯話も聞かず行ってしまった。まあ良い。福公よ、そなたには教えておくが―⋯実は愚強が、案じていたのだ。海棠の発熱は、愚強の不周風がもたらす傷寒だ。話を聞くに、海棠は愚強の背に乗り、ここへ来たと。おまけにあの毒蛇を握っていたそうじゃないか。愚強自身には瘴気も悪心もないゆえ、有昧伯が施した御守りも反応しなかったのであろう。彼自身も、どうやら忘れていたらしいが―⋯毒蛇を握って、弱り目に祟り目であったのかもしれぬ。やれやれ⋯、だ」
「では、愚強神が治せるのか?」
「いや、傷寒であるなら、ゆっくり養生しさえすれば、数日後には症状が和らぐであろう。よい機会と捉えて、このまま大人しくさせておくべきだ。人間の身であるから、まともに受けてしまったのだな。けれど―⋯人間なのに、ここまで発症せずにいられたのだから、見上げたものだ」
博益はまた、その顔を、覗き込んで。
「ただ、飲まず食わずはよくないがな」と、ここでようやく少し困った表情を浮かべた。
すると⋯彼女はまた熱にうなされ呟き始める。
「タミ⋯フル⋯⋯」
「⋯【民、振るう】、か。なるほど」
博益には、そう耳に届いていた。
「⋯民が力を振るう、そんな世が、理想の国家であるというのだな」
彼は、彼女が言う【日本】という国の概念か、と。羨ましくも―⋯自分の理想そのものであると思うのであった。
「どこまで俺をこき使うんだ。全く―⋯厄介な人間だ」
そうプリプリしながらも、小刻みに震えるその手で―⋯白湯を飲ませようとする。
「待て」
浮游はそう言って、彼女の側に座り、身体を起き上がらせると―⋯福に向かって小さく、頷いた。
福は、この白湯が内なる熱を解放させるものだと思っていた。そう、思っていたかったのかもしれない。慎重に、慎重に口へと運ぶが⋯いつものように豪快に飲み干す筈もない。ほんの少しだけ、コクリ、と喉が音を立てたのだった。
意気消沈する福を前に、浮游は己の手を雪の中に埋めて、そのひんやりとした手を海棠の頬へとあてがっていた。
「⋯⋯⋯」
福は、主人のこのような姿は見たことがなかった。普段は、突き放すか、放り投げるか、脅すか、無視をするか。直接的に見た2人の姿は―⋯いつもいつでも、そういった光景だった。そうであるからこそ、不思議でならないのだ。
心配しているようにも見えない。
慌てた様子すらない。
なのに⋯その手は。既に彼女を受け入れているのだ。
(⋯⋯俺の報告のおかげか?)
浮游は、福に博益を呼んでくるように命じると⋯、その博益はものの数分でやって来た。
彼もまた、海棠の脈をみて⋯「無理が祟ったな」と、彼女の額にそっと手を乗せる。
「暫く休ませてやろう」
浮游はその光景を眺めると、この場を任せる、と言わんばかりに滅紫の袖を翻して⋯博益が止めようとするその声を無視してフッと姿を消したのだった。
残された博益は、戸惑いの表情を浮かべつつ⋯海棠の垂れ下がった眉をみて、クスリと笑う。
普段のキリ、とした威勢ある眉が―⋯こうも下がってしまうのか、と眉間をくいっと上げる悪戯を施して。
そして「う〜ん⋯」と海棠が眉をしかめる様子をみて、呑気にまた微笑むのだった。
そう。博益は、若干酒に酔っていたのである。
福は、そんな博益の落ち着きはらった様子に安堵を覚えて。ようやくそこで⋯一息ついたのだった。
「有昧伯に言おうと思っていたが⋯話も聞かず行ってしまった。まあ良い。福公よ、そなたには教えておくが―⋯実は愚強が、案じていたのだ。海棠の発熱は、愚強の不周風がもたらす傷寒だ。話を聞くに、海棠は愚強の背に乗り、ここへ来たと。おまけにあの毒蛇を握っていたそうじゃないか。愚強自身には瘴気も悪心もないゆえ、有昧伯が施した御守りも反応しなかったのであろう。彼自身も、どうやら忘れていたらしいが―⋯毒蛇を握って、弱り目に祟り目であったのかもしれぬ。やれやれ⋯、だ」
「では、愚強神が治せるのか?」
「いや、傷寒であるなら、ゆっくり養生しさえすれば、数日後には症状が和らぐであろう。よい機会と捉えて、このまま大人しくさせておくべきだ。人間の身であるから、まともに受けてしまったのだな。けれど―⋯人間なのに、ここまで発症せずにいられたのだから、見上げたものだ」
博益はまた、その顔を、覗き込んで。
「ただ、飲まず食わずはよくないがな」と、ここでようやく少し困った表情を浮かべた。
すると⋯彼女はまた熱にうなされ呟き始める。
「タミ⋯フル⋯⋯」
「⋯【民、振るう】、か。なるほど」
博益には、そう耳に届いていた。
「⋯民が力を振るう、そんな世が、理想の国家であるというのだな」
彼は、彼女が言う【日本】という国の概念か、と。羨ましくも―⋯自分の理想そのものであると思うのであった。