海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
そして陸吾は、罰を受けるのだった。

天帝は、共工や相柳へと思いを馳せることなど2度と無きよう、七情不帰(しちじょうふき)の術⋯そう、あの禁忌の術を陸吾に執行し哀の感情を奪った。

そして、治水の際に陸吾と共に奮闘した博益へと命を下す。9つの命のうちの1つ。【浮游】の命を奪うように、と。けれど―⋯博益にはそれはできなかった。帰順を促していたのであれば、それは決して裏切りではないと、功臣でもある男の処遇に納得できなかったからだ。

だから矢の位置をずらし、陸吾の中にいる別の命を奪ったに過ぎなかった。

目と目を合わせて。2人は―⋯無言のまま共謀したのだ。

陸吾は、その守護神たる身分を剥奪され、崑崙を追放されて。

流刑地である昧谷へと―⋯封ぜられた。

崑崙の守り神は、もう、いない。

そして⋯その全てを見ていた玄女は、次第に自分の犯した罪の意識に苛まれていった。

救うつもりで味方をしたことが、結局苦しめることに繋がっていた。そして何よりも、自分こそが―⋯天命に逆らったのだ、と。

彼女は⋯人知れず、有昧の地へ向かった。

幾年も経ち、陸吾は己の能力を隠しつつも、既に【有昧后】として、そして九部の秩序と平和の維持を護る命を受けた妖族の軍師として、頭角を現していた。

感情を廃するような峻烈な視線と、凍てつくよう深淵の灰色は相も変わらずだった。

けれど―⋯玄女は、その瞳の奥に潜む静かなる博愛を知っていたのだ。女几山で花海棠を見上げた時。その虹彩に映った、淡い紅を。

もう、その面影は―⋯どこにもなかった。

有昧の美しき湖畔。その、木の枝に座って。

彼女は⋯ひっそりと琴を奏でた。

ゆったりとした音の運び。この湖畔の如く、さざ波一つない静かな水面のようなどこまでも穏やかで、清らかな旋律は―⋯五弦の琴で奏でる【南風歌(なんぷうか)】。

その調和のとれた五音に、同胞の面影を求めた鸞鳥(らんちょう)が⋯青緑色の美しい尾羽を広げ、ゆっくりと円を描きながら空から舞い降りてくる。

「鸞鳥よ。貴方とも―⋯今日でお別れだ」

有昧の平和と繁栄を願い、心から贈る―⋯惜別の調であった。

玄女はその演奏を終えると。

懐から双鏡を取り出して⋯天下泰平を象徴する、その鸞鳥を鏡に映す。

(世の中が平和で、君主が正しい政治(徳治)を行っている時にしか地上に姿を現さない瑞鳥だ。有昧の后よ。そなたは決して間違ってなどいない)

鸞鳥は、映った己の姿に喜ぶようにひと鳴きして。そして、玄女は双鏡に宿る己の神力を消し去ってから⋯その手を、離した。

それが有昧の湖面へと吸い込まれていく時にはもう、彼女の姿はなかった。

その1人と1羽のどこか絵画のように美しい一瞬を、遠く離れた森の影から、息を潜めて見つめる若き男がいた。⋯若き日の博益である。

彼は、美しい湖畔の木の上で、見事な音律を操り鸞鳥と戯れる孤高の戦神の姿を、その目に深く焼き付けていた。

玄女の姿を見たのは、後にも先にも、この一度きりであったのだが――。

彼は、湖の中から鸞鳥が拾い上げてきたその鏡を―⋯彼女が捨てた情の証を。

大切に⋯、持ち続けるのだった。

そして。

玄女はついには西王母を訪れ、自らの罪を認めて⋯罰を受ける決意を固めるのだ。

一方の西王母は、淡々と⋯彼女の意思を受け入れたのだった。彼女には人間界へ渡るようにと罰を下すのだが、玄女の預かり知らぬところで⋯手を打っていた。十分な反省の意志もあり、何より世にいなくては困る存在。西王母は歴劫として送り出すことを決め、人間界での寿命を終えたらまた、戻って来れるようにとの算段で、忘川の聖水を⋯飲ませたのだった。

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