海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
それは、1年ほど前のことであった。

海棠は北の鐘山の地で大疫に見舞われたあの後、その冬を―⋯北の民と共に過ごした。その間、有昧に避難していた住人が愚強に乗せられ次々と帰郷して。皆、その惨状に言葉を失ったのだった。

彼女は怪我人の回復と鐘山及び北溟の復興の兆しを見届けてから去ろうと、浮游が残した有昧軍のいち部隊と福と共に尽力し、困難を乗り越えていった。
契は、必要物資を揃え継続的な支援をする手筈整えてから鐘山を去り、博益もまた、老仙人に託された信頼を裏切ることなく⋯怪我人や病人の回復へと貢献した後に一時撤退していた。両者共に、禹后の忠臣。その役目を果たしに―⋯、そして報告へと向かったのだろう。

驍大人は海棠の体調の回復を見届けた後すぐに、有昧に戻って行った。福曰く、有昧后と共に鐘山の空へ散った同胞の遺族へと⋯小銘牌を携えその生き様を伝えに出向いているのだ、と。

そして獯鬻は、過酷な環境に怯むことなく―⋯川の伏流を本流にする大工事を完璧に遂行し、一目国の者たちと共に去ったのだった。

北の民はとても忍耐強く、泣きごとも言わずに⋯その冬を耐え忍びながら前を向いていった。とりわけ、福の【うどん】は「明日を生きるための活力になる」とまたたく間に評判となり、契に追加で小麦を送ってもらうよう願うが⋯叶わず。まだ希少であったことを実感するのだった。まさに⋯幻の名店、である。

迫害されてこの地に追いやられ住みついた部族も多い。元来なら恨み言も言いたくなるだろうに、一切口にせず、海棠たちと手を携え支え合って生きていくのだった。

そして―⋯春が訪れて。

海棠が天妖界やってきて丸1年が過ぎようとする頃。彼女は、1つの決意をするのだった。

北西の僻地で過ごしてきた自分が、外の者たちと触れ合う中で、いかに無知であったかを思い知ったのだった。その土地、その土地の信仰と生き方があり⋯生活に則した知恵がある。

天妖で生きて行くならば。

自分の力で―⋯歩んでいくならば。

知らなければならない。この広い世界を。統治された九州と、まだ未開の地を⋯旅することを。

思い立ったら、その行動は早かった。鐘山の状況把握と支援に立ち寄った博益にその旨を伝え、かつての【約束】を実現すべく⋯すぐに準備へと取り掛かった。

北の風神・愚強は、自分が引き起こした不周風を心から詫び、そして海棠個人へと誓う。「力になれることがあるなら、いつでもどこにでも駆けつける」と。そして餞別代わりに、北溟の粗塩を贈るのだった。

そうして、鐘山の民に惜しまれつつ―⋯

皆に見送られて、彼女は新たな旅の一歩を踏み出したのだった。
< 217 / 221 >

この作品をシェア

pagetop