海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
北の鐘山からの旅路。

その鐘山を出ると、そこはすでに九州(禹后の統治圏)の北端たる并州(へいしゅう)の地であった。

「ここからが并州だ」

博益の説明と共に、一歩足を踏み入れたその瞬間。

思わぬ出会いが⋯待ち受けていた。

「お待ちしておりました」

その突然降ってきた言葉に、ピクリ、と海棠の肩が跳ねるように動いた。

それもその筈だった。

足音も、気配すらもせず―⋯声だけが襲いかかってきたような。そんな出会いだったからだ。

博益に向かって頭を下げるその男が、顔を上げた瞬間。海棠と、目と目が合った。

血色なき陶器のような顔。獣のような瞳孔の細さを有する瞳は、彼女を見ているようでいて、同時に「千里先の地平線」や「空間の歪み」を常に測量しているような、焦点をどこか遠くに鋭く定める独特の眼差し。

(有昧后も喜怒哀楽が読みづらいけれど―⋯この者からは、その雛形すらも感じない)

この出会いが予定調和だったのか、そうでないのかは博益の表情からは読み解くことができない。そのくらいに平然として、彼はにこり、と僅かに微笑んだ。

「紹介しよう。豎亥(じゅがい)だ」

この瞬間に。海棠はふと思うのだった。鐘山にて天妖と冥界をパイプで繋ぐ策を講じる前⋯、禹后の許可を取るべきだ、と、博益に申し出たことがあった。

とんだ茶番劇によって、話は流されていたが⋯。つまりの所、禹后への報告は全て事後になり大幅に遅れていた可能性がある。

禹后の統治下に来た途端に、現れた男だ。

(⋯⋯博益、それはつまり―⋯)

「以前話した通り、この九州の各地を巡り、その実態を後世に伝えるには⋯正確な指標が必要であろう?」

「⋯⋯」

「この者は、その地を正しく測量する才がある。それゆえ、同行させようかと」

博益は飄々とそう言い放つが、かつての約束では2人で各地巡ろうと一貫して言っていた筈だった。

海棠は、疑いの眼差しで⋯、その男・豎亥(じゅがい)の上から下までをじいっと視線を移動させながら、じっくりと見定める。

穴が空くほどに、じっと。じい〜⋯、と。

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