海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
静謐な男、豎亥は自ら口を開くことはほとんどなかった。全てを数値化し、現実を推し測っていくこの者は⋯実際に邪魔にすらならなかった。
彼がひとたび歩けば、木と木の間の距離さえ正確に測り―⋯
彼が民の歩みをじっと眺めれば、その速さも把握する。
「役人の検問の目が煩わしいのであれば、あの恒山の狭間を抜ける道を選んでも良いが⋯その道程は厳しいものになるかもしれぬ」
博益がそう言って、むき出しの荒々しい岩肌が連なる巨大な障壁のルートを指差せば―⋯、豎亥は、「二たび、月が満ち欠ける」と、淡々とその時間を計測するのだった。
「何だか―⋯ロマンチックな表現だ」と、からかうようにして、豎亥の肩をポンポン、と叩いて笑う海棠であったが、そこでハッとするのだった。
(この男―⋯「速さ×時間=道のり」いわゆる、日本の小学生が学ぶ【み・は・じ】の基本的で絶対的な方程式を、淀みなく天然で⋯完璧に計算している!!)
こうなると、このスマート計算機―⋯いいや、天然GPSを彼女が放っておく訳はない。
「ねえ、あそこにいる民の歩みなら、あの丘の影に隠れるまであとどれくらいかかる?」
「十の息ののち、隠れる。君たちの足なら、九の息で先回りできる」
「⋯また洒落た言い方を。よし、では、その息の速さがこのくらいだったら、何回分で辿り着く?」
「⋯⋯。⋯五の息だ」
こんな攻防戦を繰り広げることは常。けれど一切の妥協なく淡々と答えるこの様が彼女にとって非常に痛快でもあり⋯、そう、警戒どころか、逆手にとって存分に楽しむのである。
またある時は、平原を駆ける、鋭利な一角獣䑏疏の到来に目を輝かせて。
その、リアル【ユニコーン】に、日本における偉大なる野球選手を思い描いてみた。
自分の家族の顔さえ思い出せぬのに、知識としての記憶ばかりが抜群なのは―⋯相も変わらず、である。
おまけにそのユニコーンに乗る、と、ある軍師の姿を想像するのだ。
(あれだけ拘束しておきながら、手放すのはあっさりだとは⋯。今頃、何をしているやら)
そう考えたが吉日。
「距離、三百歩。速度、一拍(1秒)に十五歩。……あいつの速度なら、罠の直線上に乗るまであと二十の脈拍」
遮蔽物のない平地だからこそ、豎亥の目が冴え渡り、海棠が不敵に笑う。
「博益、綱を跳ね上げるタイミング、豎亥の合図に合わせてみよう。一瞬でもズレたら馬の跳躍力で飛び越えられるから―⋯一か八か。チャンスは一度きり」
「丙、乙、甲、――⋯」
豎亥の声と、海棠の「ゼロ!!」の合図と同時に博益が綱を引き、突進する䑏疏の脚を完璧に払う。平地でのスピード勝負を、純粋な算数でハメる。
「【風林火山】、by武田信玄」
ぜひとも有昧の軍馬に、と目論み―⋯䑏疏相手にトラップ成功を治めるのであったが。博益の交渉術を経て、いざ!とその背に跨がろうとして⋯ようやく気づく。
(鞍も鐙もなく、乗れる筈もなかった!)と。
やはりどこか詰めの甘い彼女に、博益はやれやれ、と笑いながら⋯代わりに荷を乗せるのであった。
彼がひとたび歩けば、木と木の間の距離さえ正確に測り―⋯
彼が民の歩みをじっと眺めれば、その速さも把握する。
「役人の検問の目が煩わしいのであれば、あの恒山の狭間を抜ける道を選んでも良いが⋯その道程は厳しいものになるかもしれぬ」
博益がそう言って、むき出しの荒々しい岩肌が連なる巨大な障壁のルートを指差せば―⋯、豎亥は、「二たび、月が満ち欠ける」と、淡々とその時間を計測するのだった。
「何だか―⋯ロマンチックな表現だ」と、からかうようにして、豎亥の肩をポンポン、と叩いて笑う海棠であったが、そこでハッとするのだった。
(この男―⋯「速さ×時間=道のり」いわゆる、日本の小学生が学ぶ【み・は・じ】の基本的で絶対的な方程式を、淀みなく天然で⋯完璧に計算している!!)
こうなると、このスマート計算機―⋯いいや、天然GPSを彼女が放っておく訳はない。
「ねえ、あそこにいる民の歩みなら、あの丘の影に隠れるまであとどれくらいかかる?」
「十の息ののち、隠れる。君たちの足なら、九の息で先回りできる」
「⋯また洒落た言い方を。よし、では、その息の速さがこのくらいだったら、何回分で辿り着く?」
「⋯⋯。⋯五の息だ」
こんな攻防戦を繰り広げることは常。けれど一切の妥協なく淡々と答えるこの様が彼女にとって非常に痛快でもあり⋯、そう、警戒どころか、逆手にとって存分に楽しむのである。
またある時は、平原を駆ける、鋭利な一角獣䑏疏の到来に目を輝かせて。
その、リアル【ユニコーン】に、日本における偉大なる野球選手を思い描いてみた。
自分の家族の顔さえ思い出せぬのに、知識としての記憶ばかりが抜群なのは―⋯相も変わらず、である。
おまけにそのユニコーンに乗る、と、ある軍師の姿を想像するのだ。
(あれだけ拘束しておきながら、手放すのはあっさりだとは⋯。今頃、何をしているやら)
そう考えたが吉日。
「距離、三百歩。速度、一拍(1秒)に十五歩。……あいつの速度なら、罠の直線上に乗るまであと二十の脈拍」
遮蔽物のない平地だからこそ、豎亥の目が冴え渡り、海棠が不敵に笑う。
「博益、綱を跳ね上げるタイミング、豎亥の合図に合わせてみよう。一瞬でもズレたら馬の跳躍力で飛び越えられるから―⋯一か八か。チャンスは一度きり」
「丙、乙、甲、――⋯」
豎亥の声と、海棠の「ゼロ!!」の合図と同時に博益が綱を引き、突進する䑏疏の脚を完璧に払う。平地でのスピード勝負を、純粋な算数でハメる。
「【風林火山】、by武田信玄」
ぜひとも有昧の軍馬に、と目論み―⋯䑏疏相手にトラップ成功を治めるのであったが。博益の交渉術を経て、いざ!とその背に跨がろうとして⋯ようやく気づく。
(鞍も鐙もなく、乗れる筈もなかった!)と。
やはりどこか詰めの甘い彼女に、博益はやれやれ、と笑いながら⋯代わりに荷を乗せるのであった。