海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
道を抜け坂を上がったその先には、桜並木が続く川沿いの堤防。
ちょっと前までには美しいソメイヨシノが満開に咲き誇っていて⋯遠目から見ても、その雄大さは息を飲むほどであった。が、それは短く儚いもので⋯、既に4月の下旬。花は散り、遊歩道にはびっしりとその花びらがくっつくようにして敷かれていた。

増水した川が轟々と音を立てて、春の情緒を流し去っていくようだった。

「先週ここを通ればよかったな」

ほんの少し迂回すれば、見頃を迎えた桜を目の当たりにできたのに、と、ちょっとだけ後悔。

私はイヤホンを取り出すと⋯耳につける。スマホアプリで【春特集】のプレイリストを選び、その名残りを楽しむことにする。

音楽に合わせるかのようにして、少しだけ早足で道を闊歩していく。

通勤途中のサラリーマンに、子供を連れたお母さん。自転車で先を急ぐ中高校生に⋯、同じ年頃の学生。沢山の人とすれ違いながら、いつもとは違う通学ルートを堪能して。

やがて⋯ふと目に飛び込んできたのは、1本の艶やかな花木であった。
薄紅色の、桜ととてもよく似た花が⋯満開に、優美に佇んでいて。一際目立ったそれは、一気に目を奪ったのだった。

(何で1本だけ?)

周囲を見渡しても、雨に晒され既に花は散っていて。
この木だけが⋯見事に咲き誇っているのだ。

私はその木に近づいて、細い枝先を摘むと。その凛とした美しい花を⋯じっくりと眺めた。ソメイヨシノに似ているようで、全然違う。より色濃く見えて⋯垂れ下がる八重咲きが、華やかだ。そして、蕾がまた愛らしく小さな小さな薔薇の花のようだった。

綺麗な光景を見ると、それを人と共有したくなるものだ。言葉を交わせば、より、記憶の奥に⋯刻まれていくからだ。

早速1枚、スマホで写真を撮って、例の友人へとその画像を送る。


(後でグーグルレンズで名前を調べよう)



今日ここを通って良かった、と⋯枝を手繰り寄せ、鼻先を花弁に近づけてみた時だった。


ふと⋯何かを感じて振り返ったその瞬間。一瞬だけ視野に入った黒い影。

胸元に突如襲ってきた、突き刺すような大きな痛み。


跳ね飛ばされるように宙を舞いながら⋯次第にそこから離れていくその時に、

最期に見るものが、あの美しい世界で良かったと、直感的にそう思った。


残った感覚は、痛烈な痛みと⋯突如飛び込んだ、冷たく真っ暗な世界。

もがくような苦しさ。


< 3 / 83 >

この作品をシェア

pagetop