海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
人は死ぬ直前に⋯どんな感情になるのだろうか?
受容していれば、苦しさから解放される喜びかもしれない。
残す家族を思い、悲しみに暮れるのかもしれない。
突然であれば、驚きしかないのかもしれない。
心理学で⋯学んだ【プルチックの感情の輪】。人間には、8つの基本の感情があるんだって。その強弱や対極感情も含めれば⋯、そして、混同させてしまえば。
派生する感情は⋯幾重にも重なって。
1言では言い表せないないのかもしれない。
では、人間が最も記憶に残るものは?
恐怖⋯
不安⋯
悲しみ⋯
怒り⋯
そう、ネガティブな感情。
じゃあ、私は?
私は最期に今⋯⋯。
そんな暇も与えられず、実に直近の憂いごとだけが頭に過っていて。
ああ、後で会おうって⋯おごるって約束したのに、守れなかったな。
LINE、もう見たかな。あれが最後のメッセージだなんて⋯。
なんで、どうして?と考える暇も、走馬灯など見る間もないくらいに、息絶える一瞬は⋯自分への情すら与える隙もなかった。
そうか、そんな人もいるのか。
確かに今襲ってきている感情が、何なのかも知らぬまま⋯
もう、逝くだなんて。
◇◇◇
水の流れるせせらぎが⋯耳に届いた。
感覚が完全に麻痺して⋯痛みや冷たさもとうとう何も感じないくらいになって。瞼を開くこともできない。
人間が死を迎える時、1番最後まで機能する五感は⋯聴覚なのだと聞く。あの川の轟音ではなく、優しいせせらぎが耳に届くのは⋯少しでも心穏やかに逝けるようにと、どこかの誰かの配慮なのかもしれない。
無の境地にいたようにも思う。すべてから解放され、脱力し、何も知らず、考えもせず、ただここに居た気がする。
◇◇◇
どれだけの時間が経ったのだろう?
(⋯⋯ここは⋯どこだろう)
ふと、脳裏にそんな疑問が湧いていて。
目を開くことができたのかも、ただの幻想に過ぎないのかもわからないのに⋯うっすらと、ぼんやりと『見えた』のは⋯深い霧が立ちこめる、広く大きな川。穏やかな浅瀬が延々と続く、幻想的な世界。
「三途の⋯川?」
(本当に⋯あるんだ?)
そして私の記憶は、とうとうここで⋯途絶えた。
死んで七日目には⋯この川を渡る、という。この世とあの世とを繋ぐ、象徴的な存在【三途の川】。
(7日目?つまり、もうそんなに経ったということ?ついさっきのことなのに。⋯いや、もはや時間の概念なんてないか)
川に橋はかかっていないし、どうやら渡し船もない。
(浅瀬を歩いて渡れ、ってこと?)
人は死すとこんなにも冷静に、俯瞰的に物事を考えられるのか⋯とぼんやりとそう思いながら、頭の中に、『ある者』の姿を描いていく。生前の業を徹底的に審理する、という⋯鬼のような風貌の「十王」の形姿。
思い浮かべては⋯ぞっとするけれど。
何度も暗闇が襲って来ては⋯思考を遮断しようとする。
人文学部で学んだ宗教学や史学、心理学に死生学。
就活に生かせるものでも、スキルにもならないかも知れないけれど。興味ある分野の知識の蓄積は⋯無駄ではなかったようだ。
ここまで来たら、きっと次の展開は⋯⋯、
(もうダメだ。次に目が覚めたらこれは夢なのか、あの世であるかのか⋯)
何も感覚がないのに。なぜか夢に誘うようなじんわりとした温もりを感じていた。
「あったかい⋯」
ただの幻想なのかはわからない。わからないけれど、自分を包む温かい毛玉が、鼻先をくすぐっているように思った。
「懐かしい。そっか、迎えに来たんだね」
小さい頃から共に育った大好きな柴犬のフク。モサモサの尻尾をぱたぱたとさせて、隣りで昼寝をした相棒。
数年前に亡くなったあの子が、迎えに来てくれたのかもしれない。
「フクと一緒なら⋯怖くない。⋯ありがとう」
ぬくぬくとした温かさは、心を浄化させていく。
地獄から天に昇るような、そんな不思議な気分であった。
20☓☓年4月某日
享年21(満19才)
これが、私が知る、私の人生の終焉の日だ。
受容していれば、苦しさから解放される喜びかもしれない。
残す家族を思い、悲しみに暮れるのかもしれない。
突然であれば、驚きしかないのかもしれない。
心理学で⋯学んだ【プルチックの感情の輪】。人間には、8つの基本の感情があるんだって。その強弱や対極感情も含めれば⋯、そして、混同させてしまえば。
派生する感情は⋯幾重にも重なって。
1言では言い表せないないのかもしれない。
では、人間が最も記憶に残るものは?
恐怖⋯
不安⋯
悲しみ⋯
怒り⋯
そう、ネガティブな感情。
じゃあ、私は?
私は最期に今⋯⋯。
そんな暇も与えられず、実に直近の憂いごとだけが頭に過っていて。
ああ、後で会おうって⋯おごるって約束したのに、守れなかったな。
LINE、もう見たかな。あれが最後のメッセージだなんて⋯。
なんで、どうして?と考える暇も、走馬灯など見る間もないくらいに、息絶える一瞬は⋯自分への情すら与える隙もなかった。
そうか、そんな人もいるのか。
確かに今襲ってきている感情が、何なのかも知らぬまま⋯
もう、逝くだなんて。
◇◇◇
水の流れるせせらぎが⋯耳に届いた。
感覚が完全に麻痺して⋯痛みや冷たさもとうとう何も感じないくらいになって。瞼を開くこともできない。
人間が死を迎える時、1番最後まで機能する五感は⋯聴覚なのだと聞く。あの川の轟音ではなく、優しいせせらぎが耳に届くのは⋯少しでも心穏やかに逝けるようにと、どこかの誰かの配慮なのかもしれない。
無の境地にいたようにも思う。すべてから解放され、脱力し、何も知らず、考えもせず、ただここに居た気がする。
◇◇◇
どれだけの時間が経ったのだろう?
(⋯⋯ここは⋯どこだろう)
ふと、脳裏にそんな疑問が湧いていて。
目を開くことができたのかも、ただの幻想に過ぎないのかもわからないのに⋯うっすらと、ぼんやりと『見えた』のは⋯深い霧が立ちこめる、広く大きな川。穏やかな浅瀬が延々と続く、幻想的な世界。
「三途の⋯川?」
(本当に⋯あるんだ?)
そして私の記憶は、とうとうここで⋯途絶えた。
死んで七日目には⋯この川を渡る、という。この世とあの世とを繋ぐ、象徴的な存在【三途の川】。
(7日目?つまり、もうそんなに経ったということ?ついさっきのことなのに。⋯いや、もはや時間の概念なんてないか)
川に橋はかかっていないし、どうやら渡し船もない。
(浅瀬を歩いて渡れ、ってこと?)
人は死すとこんなにも冷静に、俯瞰的に物事を考えられるのか⋯とぼんやりとそう思いながら、頭の中に、『ある者』の姿を描いていく。生前の業を徹底的に審理する、という⋯鬼のような風貌の「十王」の形姿。
思い浮かべては⋯ぞっとするけれど。
何度も暗闇が襲って来ては⋯思考を遮断しようとする。
人文学部で学んだ宗教学や史学、心理学に死生学。
就活に生かせるものでも、スキルにもならないかも知れないけれど。興味ある分野の知識の蓄積は⋯無駄ではなかったようだ。
ここまで来たら、きっと次の展開は⋯⋯、
(もうダメだ。次に目が覚めたらこれは夢なのか、あの世であるかのか⋯)
何も感覚がないのに。なぜか夢に誘うようなじんわりとした温もりを感じていた。
「あったかい⋯」
ただの幻想なのかはわからない。わからないけれど、自分を包む温かい毛玉が、鼻先をくすぐっているように思った。
「懐かしい。そっか、迎えに来たんだね」
小さい頃から共に育った大好きな柴犬のフク。モサモサの尻尾をぱたぱたとさせて、隣りで昼寝をした相棒。
数年前に亡くなったあの子が、迎えに来てくれたのかもしれない。
「フクと一緒なら⋯怖くない。⋯ありがとう」
ぬくぬくとした温かさは、心を浄化させていく。
地獄から天に昇るような、そんな不思議な気分であった。
20☓☓年4月某日
享年21(満19才)
これが、私が知る、私の人生の終焉の日だ。