海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
それは⋯不思議な感覚であった。
頭の中に、知らない声が⋯流れてくるのだから。

「そこを避けてください」と、警告する声。

その主は⋯そこにいる者に違いない、と確信する。
私はチラ、と後方を確認し、石像のように固まった怪物を一瞥する。

邪除けの輪は、こんなに近くにいても⋯何のアクションも起こさない。


男は、気づけば弓を構え⋯その矢先をこちらへと向けていた。
「今すぐ、避けよ」と、再度要求されるが⋯謎の正義感が、沸き立ってくる。

悪さをして訳でも邪魔した訳でもない。
訳も知らずに、この一見おぞましくも愉快な怪物を見殺しにしてよいものか?

「⋯⋯⋯」

両手をゆっくりと広げて。
どうか怪物にも自分にも当てないで、と願いながら⋯目を閉じた。

「邪魔です」と、頭の中で⋯蔑むような声が響いてきたその瞬間。私は、パチっと目を開ける。

右目のすぐそこ。目の前に、あと数センチで刺さるような近さで⋯矢先が静止している。

「⋯⋯⋯!」
ドクン、ドクンと心臓の音が⋯乱れる。

震える左手で、その矢をぎゅっと握ると⋯それは黒い煙のようになって空へと昇っていった。

へなへな⋯と力なくその場へとしゃがみ込んで、ことの恐ろしさを痛感する。

想像もしたことがないのだ。
自分に矢が刺さる、そんなことは。

いや、命を脅かされる⋯、そんなことが。
以前にもあった気がする。


途端に、胸の鼓動が、次第にずくん、ずくんと重く痛み出し⋯
一気に言葉にできない程の衝撃が走る。

鋭利な矢の刃先が⋯まるで心臓を貫いたかのように。


地面に手をつき、胸をおさえては。

何度も土を握っては⋯その痛みと恐怖を払拭させようと掻いて、掻いて。握りしめて。
指先が茶色に染まっていくのも、構うことなく。

底知れぬこの痛みを⋯私は知っている。

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