海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
もがいて、もがいて、地面に這いつくばるようにして⋯倒れ込む。


「⋯⋯なん⋯で?」

しばらくすると⋯、象のような太い足が、私の手元でピタリと止まる。

全身に血流を巡らせる破裂しそうな心臓の音。自分にも届く程のそのバクバクとした音に⋯怪物の足がまるで寄り添うかのようにして、足踏みしていた。鼓動と合わせる⋯リズム。

「⋯⋯⋯」
ああ。この子は、ただただ⋯音を楽しんでいるだけなんだ。

目も、鼻も、耳も口もない。
五感があるのかも⋯わからない。感情を見せているのかも、わからない。悟ることもできない。


「⋯⋯⋯」


でも、そういう存在がいたって⋯いいじゃない?

そう思ったら⋯自分のやるせない感情ですら、必要の無いもののように思えた。

血流の慟哭が、まるで嘘みたいにスー⋯と、消失していく。
この怪物の⋯おかげだろうか。

「ありがとう」
地面に突っ伏したまま、礼を言う。
それから、慎重にゴロンと寝返りをして⋯空を見上げる。



するとどうだ?
帝江(ていこう)と呼ばれたその怪物は、ゆっくりとその巨体を動かして⋯男に背を向けると、ゆっくり、一歩、歩み始めたのだった。

「⋯テイコウは、人の声が聞こえるの?」
寝そべったまま、男に問うてみる。

「わからぬ。だが、まるで理解しているように⋯感覚で生きる者だ」
そう言って見送るこの男は⋯ただただ純粋で、曇りなき瞳を向けている。

私はむくり、と起き上がって「⋯ねえ、テイコウ!」と、試しに⋯声を掛けてみる。

帝江は、振り返ることはない。
首がないから⋯足の向きで、それを理解する。
丸まった尻がふる、ふると揺れて。短い尻尾が⋯愛らしかった。

「テイコウ!今度遭ったら、貴方に目と鼻と口を描いてみよう。そうしたら、もっと楽しい時間を過ごせそうじゃない?」

帝江がピタリと足を止める。

「聞こえたのかな?」と、少しワクワクして、反応を見守る。

⋯が、振り返ったと思ったその身体は、自分の尻の尻尾を追いかけるように⋯ぐるぐるとその場を回っているのであった。

「は⋯、ハハハッ⋯!」
滑稽だけれど憎めない。そんな怪物との不思議な出会いに。

私はこの世界に来て、初めて声を上げて⋯笑ったのだった。



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