海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
途端に、全身に⋯一気に鳥肌が立った。
かつて私がいた世にも、この者が書いているような⋯無機質に、淡々と書かれた地理書があった。後の世に伝わり続ける、歴史書の一部だ。ただ、私が良く知る三国志とは違い⋯延々と説明文が続くそれは、興味がそそられることなく名ばかり知る程度である。

けれど⋯、この者がしようとしていることは、それが叶えば、その地理書に並ぶほどの偉業になるのではないだろうか。
【歴史の編纂】―⋯そのものだ。

それなのにこの者は、全くそんな野望を抱いているように見えない。権力や名声に⋯興味がないのかもしれない。

「そなたの師父⋯【ぐぐる】殿らに、もう頼る必要もなくなるかもしれないな。そなたが九部を巡るうちに、どこかで会えるやも」
そんな風に⋯言われて、連れて行って、ともし私がそう言ったら。
この者は⋯拒否せずに受け入れてくれるかもしれない。けれど⋯、それをあの有昧王が許すとも⋯思えない。でも、この願望は、抑えきれない。

「⋯決まりだな。一緒に巡り、この世の見聞きしたもの全てを書き留めよう」

「えっ」
まさかの⋯、決定事項となっていた。心の中を見透かされてしまったのか?

「でも、有昧王が⋯」

「有昧⋯【(おう)】?⋯有昧伯(ゆうまいはく)が何であると?」
途端に、穏やかな目元に⋯力が籠る。
有昧は⋯夏王朝に従う筈の、属国に近い方国。彼を【王】と呼ぶことを嫌うのは⋯、おそらく、夏王朝の帝王に近しい者だ。

「いえ。あの男がなんと言おうと、私は私の意思を曲げてまで従う必要はありません。ぜひ、同行させていただきたい」

ついに、そう宣言すると。この者は⋯深く深く頷いて、「約束だ」と、微笑むのであった。

頭上をずっと飛び回っていたあの鳥は⋯、そこで突然下降し、男の肩にとまると。一気に静かになり⋯しばらくそのまま、動かなかった。彼もまた邪険にすることなく⋯じっとその姿に応えるかのように、ただ黙って目を閉じていた。まるで⋯通じ合う者同士のように。

やがて、その赤い羽をはためかせ、鳥は北の空へと⋯消えていったのだった。




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