海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
互いの展望を語らい、議論を重ね⋯こうしているうちに、募る鬱憤など、もうとうに消え去っていた。
すると、急激に眠くなって⋯何度も目を閉じかける。

「そろそろ帰ろう」と言う男に、
「待って、もうちょっとだけ⋯」とだけ返し、また目を閉じる。


「⋯⋯海棠(かいどう)。もう日が昇る」

博益(はくえき)殿、友人の願いを叶えてください」

男の名は、博益(はくえき)といった。名を聞いてもピンと来ず、思わず紙に書いてみて、と要求すると⋯。

私の手をとって、掌にゆっくりと⋯ひと筆ひと筆を確かめるようにして、指で書いてくれた。「分かる?」と聞いているみたいに、チラ、チラ、と何度も目を見て。

ぼんやりと⋯この漢字の名前なのか、と思った。真っ先にイメージした名と違っていたからだ。

いや、この世界に正しい文字、正確なコレといったものはないのであろう。

博識の⋯
(はく)
それに⋯(えき)の字。
名は人を表すというが⋯この人はきっと、人々にその知を持って幸せを運ぶ⋯そんな人生を歩みそうだ。

これらの字を合わせて、博益(はくえき)
⋯うん。私の中では妙な違和感はあれど、縁起の良さそうな⋯名前だ。

そして⋯博益は、あの書を取り出すと⋯。そこに、私の【海棠《カイドウ》】の名を書き綴った。

「記録さえしておけば、そなたも夏《か》に生きる者として⋯存在できる」

そんな、こそばゆい言葉と共に―⋯。


誠実なこの(ひと)は、私が眠りにおちても⋯無理に起こすこともしなかった。

意識が朦朧としていく中で⋯フワリと風が舞い、私は奈落の底へと堕ちていく。

そんな妙な感覚が⋯襲っていた。

でも、彼が約束してくれた。
落としもしないし、酔わせもしない、と。

だからであろうか?
安心して、目を閉じ続けたのは⋯。


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