海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
再び頭を垂れたその男、浮游は⋯一瞥した後、海棠の身体を持ち上げると「では」と一言だけ挨拶をして、彼女を背負う。
踵を返し、歩き始めた時だった。

「待て、浮游」

「⋯⋯⋯」

「北の大地に⋯何か異変が?」

「さあ」

「予兆に気づかないことはないであろう?なぜまだここにいる?」

「⋯⋯⋯」

「まあ、よい。どちらにせよ行かざるを得ないであろうから⋯今日はここまでに。それから―だが、その子は⋯。海棠はなぜお前が連れていく?」

「⋯まだ疑いが晴れていない、逃亡者だ」

「天帝が―⋯、それから、禹后が探している 女子(おなご)がいるのだが、お前にも伝わっているか?」

「⋯⋯その者は、ただの人間だ。こちらからも聞いておこう。お前の指示か?先日、我が敷地に有扈氏(ゆうこうし)の間者(※スパイ)が潜入しこの者を連れ去ろうとしたが⋯お前を支持している者たちであろう?」

博益は、予想していなかった質問に―⋯一瞬、考えを巡らせる。

「⋯⋯浮游よ。ただの人間なのだろう?記憶はなくとも害はないはず。有扈氏の件も含めなぜ報告を怠っている?⋯妖族が騒ぎもしていない。一体彼女をどこに隠し、お前は⋯何を企んでいる?」

「お前は―⋯関与していないのだな。お前の功にする為の愚策。では、なぜそのどうでもよい人間に拘る?」

「約束を酌み交わした、友だ」

「口煩いであろう、苦労を買って出るとは⋯」

「⋯⋯⋯」

ポツリとこぼした浮游の最後の声が⋯言葉が。
かつて共に過ごした日々を彷彿させるような響きであったことに。博益は⋯驚いた。

「⋯3度目はない。今のお前が有るのは、温情であることを忘れるな」

博益は己の拳をぎゅっと何度も握って⋯
こみ上げる怒りと、やるせなさを堪えるようにして、真っ直ぐに浮游の目見つめた。

一方の浮游も⋯目をそらさずに一見、受け止めているかのように見えるが⋯そうでもない。

心底興味がないようなその虚無感。
心はここに非ず、その名の通りにふわふわと漂わせた⋯空っぽの、瞳。


博益の言葉を胸に刻むことも、反論することもなく⋯

ただただ、佇立(ちょうりつ)しているのだ。



「⋯⋯。悪かったな、足止めさせて」

2人の小さくなっていく背中を見送って。
後ろ髪がひかれる思いを抱えたまま⋯博益もまた、この場を後にしたのだった。


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