海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
4章 いざ、北海の地へ

第12話 怪鳥の足跡、凍れる青に沈む

鳥はどうやら雄のようで、さっき聞いた⋯あの男と同じ声をしていた。

どうやら⋯あの兵士が化身したようだ。

更に、視野の端に映ったのは⋯

「⋯⋯⋯」

犬のような風貌で、けれど⋯豹のような模様と、まるで牛のような立派な角をもった動物が⋯
鳥の背中で這いつくばるようにして、じっと体を伏せている。

もしかして。
いや、もしかしなくても⋯

「福!⋯福だよね」

視線は蛇に向けたまま、私は⋯彼の名を叫ぶ。
気を失っているのだろうか?彼に、反応はない。

「⋯⋯(コウ)殿?」

鳥がその声に、反応する。

「流石は有昧伯の忠臣であるな。まさか狡殿がついて来るとは⋯」

繰り返し【コウ】の名を連呼する鳥に、思わず⋯言葉を返す。

「この者の名は、福です」

「⋯⋯⋯。そうでしたか。それは失礼を」

あっさりと素直に認めるが、かえってそれが疑わしいと思った。
この者は、有昧王や福の知り合いと思って間違いないだろうけれど。おそらく⋯軍の者ではない。
だから福は⋯ずっと警戒していたのだ。

その福が、その獣姿を見せたということは⋯霊力が弱まっている、ということ⋯?

「福、ふーくっ」
いくら呼んでも⋯返事がない。

すると⋯男は言った。
「大丈夫です。術に深くはまってしまい⋯意識が混濁しているだけです。そのうち元に戻るでしょう」


もはや余計な行動はできない、と私は高を括って、蛇と対峙したまま⋯ただ黙って。時間が過ぎていくのを⋯ひたすらに待った。

長い時間が過ぎていた。
空から見える夕焼けが⋯とても美しく、空全体をオレンジ色に染めていく。

ここに来てからの1日1日は、時間が過ぎ去るのがとても早くて⋯なんとも儚い。
時計もなく、時間を意識しない日々は⋯こうやって、感覚を研ぎ澄まし生きて行く他なくて。気づけば⋯それが当たり前のようになっている。忙しさのない、けれど、時に美しく、時に痛みを伴う⋯刺激ばかりの世界だ。

少し薄暗くなって来た頃であった。

次第に⋯吹き抜ける風が(つんざ)くような冷たさに変わり、あっという間に訪れた身が裂けるような寒さに堪えきれずに⋯とうとう口を開く。

「私たちをどこに連れて行くのですか?ひどく寒くて⋯これ以上、ここに居るのは⋯」

蛇を掴んでいる手がかじかんで、痛くて。既に限界を迎えていた。

鐘山(しょうざん)の麓です。⋯⋯ところで。貴方はもしかして、人間なのでは?」

「⋯⋯⋯」

霊胆(れいたん)を熱すればよいことです。それを知らぬのならば⋯、ここの者ではない」

「⋯⋯」

「まあよい。海棠殿に温かい召し物を」

鳥男の命令と同時に、蛇の目がカッと閃光を放つとと。みるみるうちに、体がぽかぽかと温かくなってきた。
それに、厚手の衣と、もふもふの襟巻と、耳まで覆う帽子のようなものまで⋯いつの間にやら身につけているのだ。

蛇はとうとう睨み合いをやめて、フンっ、と頭を前方へと向き直した。


「ありがとうございます。あの、鐘山(しょうざん)とは⋯?」

「⋯北の果てに行けばわかります。あ、ホラ。下を見てください」

急に速度を下げて、ゆっくり旋回すると⋯鳥男は翼を大きくひと振りさせた。

人を乗せたことがないのか⋯運転の荒い鳥だ。

彼のひと振りで下方の雲が一気に散らばり、これまで見えなかった地上の様子がハッキリと見て取れるようになった
。すると⋯どうだ?

まるで地を這うようにして、生物の胴体のようなものが延々と⋯行き先の方向へ向かって続いていたのだ。一見して、蛇のようであり、けれど鱗のようなデコボコとしたような表皮であるようにも見えて。何より、その大きさに、太さ。どこまでも続く奇妙な長さに⋯声を失うばかりであった。

「見えますか?あれは、燭陰(しょくいん)と呼ばれる龍の尾です。鐘山に巻き付くようにしているのですが⋯千里(4000km)ほどの尾をこうやって伸ばして」

「⋯⋯⋯龍!⋯7つのボールを集めて現れる、あの」

「⋯⋯?」

龍と聞けば。
日本人が身近に感じるそれは、あの龍だろう。実在するなどとは露にも思っていない、伝説上の生き物。そんな神秘的な存在に、まさか、お目にかかれるなんて⋯。

「下降します。振り落とされぬようしっかりと掴まっててください」
鳥男がそう言うや否や、ぐいんと急旋回して⋯私の身体が、フワリと宙に浮いた。

厄介なことに、命綱であるこの蛇が⋯わざと身体をくねらせて。上下左右に、時に私の身体は回転し⋯

ついには、腕の捻じれに我慢が効かずに⋯手を離してしまう。

あとはもう⋯⋯真っ逆さまだ。


ドブン!!!と大きな音と共に、一気に、深い深い海の中へと落ちて。私は慌てて⋯藻掻いた。

何せここは北の地。寒冷地域の海だ。
見上げれば、流氷と思わしき影が水面を漂い⋯まるで私がここにいることを隠しているようだった。

藻掻いては駄目だ、と、ふと⋯思い出す。
仰向けに静かに浮いて⋯呼吸を確保して救助を待つのが鉄則だ。水泳の授業で習った【背浮き】。⋯それだ!
なのに⋯、だ。
温かい厚手の衣がなお、事態を深刻化する。
吸水し重みを増したそれは⋯黙って浮くことさえ許さない。
ヒラヒラとした優雅なスカートのようなそれもまた、足を⋯拘束する枷となる。
おまけに、あの蛇の如く、巻き付いて離れようとしない襟巻きが、まるで首を絞めるようにして⋯更に苦を与えていた。

胸がツキン!と痛み、警告を促す。
痛いと叫びたくても、口を開けば空気を失い⋯水を飲み込んでしまう。そうしたら、THE ENDだ。

息がもつ限り、ギリギリまで抗おうと、衣を1枚ずつ脱いでいく。一体何重になっているのか⋯?
脱ぐ度に、海の冷たさを感じていく。

そうやって、薄い中衣中裙になった辺りで⋯ようやく自然と体が浮かび上がっていく。
例え水面へ出ても、この冷たさでは⋯数分もつかどうか。
陸まで泳ぐのも⋯無理であろう。
鳥男が気づいて、助けに来てくれるか?

それくらいしか希望はなく、希薄な対人関係ではその望みも薄い。

少しだけ手を動かして、仰向けになる。
凍りつくような海流に身を任せて⋯手を組み、浮上するのを待つ。

ひたすら、漂いながら⋯⋯。

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