海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
息がもう持たずに、とうとう⋯口を開いた時だった。
ガボッと水を飲み込んでしまうのと同時に、水面へと到達した私は⋯喉に詰まった水を吐き出そうと、嗚咽しながら⋯立ち泳ぎをする。
咳が一旦治まった所で、また背浮きをすると⋯遠のく意識の中で、ぼんやりと外を見上げたのだった。
夕焼けを、空の上から見ていたはずだった。
薄暗くなって、夜が訪れている⋯はずだった。
なのに⋯、だ。
空はまだ明るく、ハッキリと流れる雲が⋯見える。
「⋯⋯⋯?」
どんなに時間の流れを早く感じようが、まさか朝が来たのではあるまい。
ゆら、ゆらりと⋯波に拐われながら。
まるで雲の上で寝ているみたいだ、と思った。
天妖界に来たその日は⋯まるで地獄行きを恐れるかのような始まりであった。
けれど今は、天上に⋯いるみたいに。
ただ、自由に⋯大海を浮遊している。
「⋯⋯浮游⋯、か」思わず、声を出してハッとする。
空気を出してしまっては⋯それこそ浮遊できなくなるのに、だ。
うっかり、あの者の顔を思い描いてしまったのだ。
すると⋯
「⋯⋯⋯」
確かに、その顔が⋯目の前にあった。
「⋯⋯そこで何をしている」
仰向けになっている私に、その男は⋯視線を下げて、冷たく問うた。
流氷の上に立って、すん、とした顔をして。憎々しいほどに⋯妖艶に。
日の光が、彼の黒紅梅をより紅く、紅く⋯魅せていた。
どこまでも高潔で、色香漂う⋯いい男よ。
最期に見るものが、美しいもので⋯良かったのかもしれない。そう思えば、閻魔のようなこの人を、迎えに来た神様として⋯崇めようっていう気分にもなる。
―⋯などとは⋯思うはずもない。
早く助けてくれれはいいのに、そうもしない。
返事をしたくとも、助けを請いたくとも、口を開けない。
口元は既に⋯震えが止まらず、半開きにして話そうにも⋯カクカクと歯と歯がぶつかり合って、それを許さない。
殺しもしないのに、助けもしない。
ならばなぜここにいて、話しかけてきたのだ。
今日の出来事をどこかで聞き及んだのか?
私兵を従えた生意気な女を許せないのか?
悪気など⋯なかった。
貴方の世界に触れてしまったことは⋯謝る。
煩わせてしまったことも、悪かった。
でも⋯結局いつもいつも助けてくれる。
だから―⋯思考を止めずに、待っていたのだ。
胸が、痛みを増して。
考える力も失せてきたその瞬間に。
ようやく―⋯浮游の手によって、私の身体がゆっくりと引き上げられる。
僅かに開いた目で、目の前の彼の横顔を⋯見つめると、彫刻のようなその造形美に急激に触れたくなって⋯手を伸ばす。
(ほら。やっぱり助けたじゃないか)
はね除けられるつもりだった。
冷たくあしらわれ⋯また海に捨てられる気もしていた。
彼のような優れた妖族が⋯私の手の動きが見えないなんて、そんなことはないはずなのに。
あっさりと⋯それは許され、小刻みに震える指先で⋯浮游の頬に触れたのだった。
人差し指から伝わる温もり。
この冷血漢にも、ちゃんと血が通っているのだと⋯ホッとする。
チラリ、と流し目でこちらを見たものの、何も言わずに。私を彼の広い肩に担ぐようにして⋯共に姿を消したのだった。
ガボッと水を飲み込んでしまうのと同時に、水面へと到達した私は⋯喉に詰まった水を吐き出そうと、嗚咽しながら⋯立ち泳ぎをする。
咳が一旦治まった所で、また背浮きをすると⋯遠のく意識の中で、ぼんやりと外を見上げたのだった。
夕焼けを、空の上から見ていたはずだった。
薄暗くなって、夜が訪れている⋯はずだった。
なのに⋯、だ。
空はまだ明るく、ハッキリと流れる雲が⋯見える。
「⋯⋯⋯?」
どんなに時間の流れを早く感じようが、まさか朝が来たのではあるまい。
ゆら、ゆらりと⋯波に拐われながら。
まるで雲の上で寝ているみたいだ、と思った。
天妖界に来たその日は⋯まるで地獄行きを恐れるかのような始まりであった。
けれど今は、天上に⋯いるみたいに。
ただ、自由に⋯大海を浮遊している。
「⋯⋯浮游⋯、か」思わず、声を出してハッとする。
空気を出してしまっては⋯それこそ浮遊できなくなるのに、だ。
うっかり、あの者の顔を思い描いてしまったのだ。
すると⋯
「⋯⋯⋯」
確かに、その顔が⋯目の前にあった。
「⋯⋯そこで何をしている」
仰向けになっている私に、その男は⋯視線を下げて、冷たく問うた。
流氷の上に立って、すん、とした顔をして。憎々しいほどに⋯妖艶に。
日の光が、彼の黒紅梅をより紅く、紅く⋯魅せていた。
どこまでも高潔で、色香漂う⋯いい男よ。
最期に見るものが、美しいもので⋯良かったのかもしれない。そう思えば、閻魔のようなこの人を、迎えに来た神様として⋯崇めようっていう気分にもなる。
―⋯などとは⋯思うはずもない。
早く助けてくれれはいいのに、そうもしない。
返事をしたくとも、助けを請いたくとも、口を開けない。
口元は既に⋯震えが止まらず、半開きにして話そうにも⋯カクカクと歯と歯がぶつかり合って、それを許さない。
殺しもしないのに、助けもしない。
ならばなぜここにいて、話しかけてきたのだ。
今日の出来事をどこかで聞き及んだのか?
私兵を従えた生意気な女を許せないのか?
悪気など⋯なかった。
貴方の世界に触れてしまったことは⋯謝る。
煩わせてしまったことも、悪かった。
でも⋯結局いつもいつも助けてくれる。
だから―⋯思考を止めずに、待っていたのだ。
胸が、痛みを増して。
考える力も失せてきたその瞬間に。
ようやく―⋯浮游の手によって、私の身体がゆっくりと引き上げられる。
僅かに開いた目で、目の前の彼の横顔を⋯見つめると、彫刻のようなその造形美に急激に触れたくなって⋯手を伸ばす。
(ほら。やっぱり助けたじゃないか)
はね除けられるつもりだった。
冷たくあしらわれ⋯また海に捨てられる気もしていた。
彼のような優れた妖族が⋯私の手の動きが見えないなんて、そんなことはないはずなのに。
あっさりと⋯それは許され、小刻みに震える指先で⋯浮游の頬に触れたのだった。
人差し指から伝わる温もり。
この冷血漢にも、ちゃんと血が通っているのだと⋯ホッとする。
チラリ、と流し目でこちらを見たものの、何も言わずに。私を彼の広い肩に担ぐようにして⋯共に姿を消したのだった。