海棠/カイドウ〜哀をなくした不遜な軍師と、愛しき共謀者が綴る備忘録〜
気づけば⋯砂に描いた陣は、波が消し去って。
空には⋯もう、何も映ってなどいない。


「⋯⋯⋯」

さて。
物的証拠が流れていったが―⋯立件できるのか?
それに、穏やかだった海が、なぜ急に荒波に?

チラリと浮游の方を見ると、彼もまた、らしくもなく⋯黒紅梅からポタ、ポタと雫を落としては、艶のある不敵な笑みを浮かべるのだった。

なんという場面で笑うのか、この男は。
まさに理解不能である。


「どうやら迎えが来たようだ」

彼が漏らしたそんなひと言に。
ふと、その視線の先を辿っていくと⋯。

「⋯⋯ん?」

先程まで、てんで遠くに点在していた島の1つが、いつの間にやら⋯すぐ目の前まで迫ってきている。

そうすると、天地変動でも起きて⋯津波が発生したとでも言うのか?

けれど、よくよく見ると、その島。
いいや―⋯島、なんかじゃない。ぷっかりと浮かび、呑気に波の揺れに身を任せて笑う⋯

「く⋯(くじら)?」

また妙な生き物が現れた!と、一気に脳が興奮を覚えて―⋯。すぐさまこれは記録せねばと思うのだが、只今持ち合わせいるのは、砂のキャンバスのみ。

博益(はくえき)。あの者さえいれば⋯きっと、きっちりメモリーに残せただろうに。

王時計をそっちのけに、今度はそれを⋯悔やむのだった。

絵に描いた餅、砂上の楼閣。
うん、まさに⋯土台すらもままならず、絵空事ばかりである。

そうこう思ううちに、その鯨のような者の巨軀(きょく)が潮の境目から滲むように、広大な紺碧の海へと溶け込んでいく。背の輪郭が波間に揺らぎ、ついには海水の粒子となって―⋯霧散していった。


視界を遮る白濁とした水煙。その中に⋯かつて目にした筈の、巨大な羽が一瞬現れて。
水煙が晴れるより早く、寄せ返す波の合間から、一人の男が⋯滑らかに姿を現す。

その足取りは、巨獣の重圧を微塵も感じさせぬほどに軽く、濡れた衣を風に靡かせ、天空を舞う鳥の如き鋭い眼差しを湛えた男は、悪戯に興じる私をまるで見透かすように、一歩、また一歩と砂浜を踏み締めて近づいてきた。

あの、2匹の蛇を⋯身に纏って。


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