一夜だけの恋も、重い愛もいりません。〜添乗員しづの恋
 私は、バスの後方に付いたマイクを取り、くねくねの道と、ミラーに映る自身の位置を確認しながら、手振りを交えて「オーライオーライ」を繰り返した。
 
 後方車の誘導を終えた蛯原さんが、深く頭を下げている。
 
 バスが脱輪しないように慎重に、岡田が細かにハンドルを切りながら下がっていく。
 溝がないのも救いだった。

「はーい、OKです」

 入口まで無事に戻れた時には、ちょっとだけ涙が出そうだった。
 
 実は、バックの誘導は研修以来、やったことが無かったから。

「……お疲れ」
 
 
 自身が一番神経を遣っただろうに、ドアを開けた岡田が、私を見て口元を緩めて労った。
 
 その笑顔を見ると、また目頭が熱くなった。
 
 良かった、事故が起きなくて。
 
 私と蛯原さんが車内に戻ると、何故か拍手が起きた。
 お客様も一安心している様子。
 
 
「皆様、ご心配おかけして申し訳ありません。ドライバー岡田の安全運転と添乗員の桑崎の正確な誘導で、桜を傷付ける事なく広い道に出る事ができました。来年も綺麗な花を咲かせてくれる事と思います。さて、次の予定地は、宮崎県の関之尾滝でございます」
 
 蛯原さんが話している間、一人を除いては笑顔で耳を傾けてくれている。
 
 あの南条さん以外は――
 
 忌々しそうな目で私を見つめ、口元をへの字に歪めていた。
 
 私、何かやらかした?
 
 昨夜の宴会で、適当にあしらったせいだろうか? そんなことは良くある。
 なので気にしないことにした。



 
< 84 / 316 >

この作品をシェア

pagetop