重力圏外のプロポーズ、軌道修正は不可能です~宇宙飛行士は恋に不器用~
「……結月、ちょっとだけでいいから。話そう?」
カウンターへと戻る彼女に別の男が声をかけた。
昊は無意識にその男を視線で追った。
男はカジュアルな服装で、どこか馴れ馴れしい態度を取っている。
「もう、何度も言ったよね。私たちは終わったの」
「俺、本気で反省してる。もう他の女とは遊ばないから。一生、結月だけを見るって決めたんだ」
「……やめて。ここ、お店だから」
彼女の声は静かだったが、コーヒーサーバーを持つ手が僅かに震えていた。
男はそれに気づかず、彼女の腕を掴む。
「俺さ、結婚も考えてるんだよ。だから、ちゃんとやり直そう?」
その瞬間、店内の奥で小さな悲鳴が上がった。
子どもがジュースを零し、テーブルの上がびしょ濡れになる。
「大丈夫ですか?」
結月はすぐさまダスターを手にして、客の元へと。
子どもに優しく声をかけ、母親に笑顔を向けながら、手際よく片づけてゆく。
その姿を、昊はじっと見つめていた。
(——冷静だ。状況を見て、すぐに動ける。誰かのために、自然に体が動く人間。そして、あの男に対しても感情的にならず、毅然としている)
「あの人は……誰かの重力になれる人だ」
昊の胸の奥で、何かが静かに動いた。
それは、これまで感じたことのない感覚だった。
やがて、男は不満げに席を立ち、店を出ていった。
結月は深く息を吐き、カウンターの奥へと戻ってゆく。
昊はそっとポケットから名刺入れを取り出した。
名刺には、『JSEA 宇宙飛行士 星野 昊』の名が刻まれている。
彼は立ち上がり、レジへと向かった。
その歩みは、いつもより僅かに軽やかだった。