訳あって、推しに激似のクールな美容外科医と利害一致のソロ活婚をしたはずが溺愛婚になりました
推しの変化とお告げ!?
 職員専用の駐車場に行くと、車の傍で佇む央輔の後ろ姿があった。

 その立ち姿だけでも様になっているのだから、我が推しながらあっぱれである。

 ちなみに、今日の央輔は、爽やかな淡いグリーンのオープンシャツに黒のテーパードパンツを合わせただけという、カジュアルな出で立ちだ。なのに、ファンタジーの世界から飛び出した王子様にしか見えない。

 近づくごとに、放たれるオーラの光度が増していく。キラキラと眩いばかりだ。

 ――まさに、理想の男性。

 裕子の言うとおり、愛しの旦那様である。……ただし偽りの。

(そう、偽りの関係なんだってことを、肝に銘じなきゃ……)

 逸る気持ちを宥めつつ駆け寄ると、気配に気づいた央輔が振り返ってくる。央輔は杏璃の姿を捉えた瞬間、嬉しそうに破顔した。それがマスク越しでもわかる。

 途端に何もかもが吹き飛んだ。

 ついさっきまで、央輔をこれ以上好きになるのが怖くて、帰るのを渋っていたのが嘘のよう。園児の命を預かるという気の抜けない業務で疲弊した心と身体が癒やされていく。

 見合いした当初は無表情で無愛想だった央輔だが、時間を共有するうち色んな表情を見せるようになった。

 今では、こうして『愛する妻を溺愛する夫という役目』を完璧に演じきるほどである。王子様然とした振る舞いもすっかり板についている。

 そこで、ふと裕子の言葉が脳裏を掠めた。

『早く行かないと、旦那さん、怒ってるようでしたよ』

 更衣室で、驚きのあまり呆けたままフリーズしていた杏璃に、裕子が忠告してくれたのだが……

 今の央輔にそんな様子はまったくない。それどころか機嫌は頗るいいように見える。

 きっと、女性が苦手だからなのだろう。なのに、杏璃に対しては嫌悪感を感じないという。

 確かに、杏璃はそんな表情一度も見たことがない。

 そんな些細な事でさえも、何だか特別だと言われているようで、頬がだらしなく緩んでいく。

 理想通りの男性像まんまの推し――央輔を前に、杏璃の気分はすっかりアイリスである。

「央輔さん、お待たせしましたっ!」
「いや、急に連絡もなしに、慌てさせて悪かった」
「いえいえ、それはいいんですけど。何かありました?」
「あ……いや、とりあえず……乗らないか」

 背後をチラッと窺った央輔にそう促されて、そこでようやく杏璃は背後の異変に気がついた。と、同時に、央輔と二人だけの世界に浸っていた杏璃の耳に、裕子と手の空いた他の職員の黄色い声が届く。

 たちまち羞恥に襲われた杏璃は、慌てて助手席へと逃げ込むのだった。

 後に裕子に聞かされた話だと、規律や風紀に厳しい園長の鶴の一声によって、騒ぎはすぐに沈静化したらしい。

 ちなみに、結婚式は内輪だけに留めたので、『愛しの旦那様』が『美容界の氷のプリンス』だというのは園長と副園長しか知らない。

 なので、央輔はマスクだけでなく眼鏡も装着している。

 仕事のときはきっちりセットされている髪も無造作に降ろされており、いい具合に目元が隠れている。

 だというのに、この騒ぎである。

 ――恐るべし推しの威力。

(バレないようにしなきゃ)

 羞恥も収まったところで、気を引き締め直した杏璃は運転中の央輔に意識を向けた。

 用件を話している間は二人きりだと意識せずにすむ――そう思ってのことだ。 

「で、急用ってなんだったんですか?」

 なのに、央輔がさらっととんでもない台詞を口にする。 

「ああ、いや。仕事が早く終わったら、杏璃の顔が無性に見たくなって……それだけだ」
「――……!」 

 しかも、照れているのか、目元までほんのりと赤みが差しているように見える。

 一瞬、真に受けそうになったものの、正気を取り戻した杏璃はふうと息をつく。

(そ、そうだった。また、勘違いしそうになったけど、溺愛モードなんだった)

 目元が赤く色づいて見えるのは、眼鏡とマスクのせいで熱くて火照っているに違いない。

 けれど、この調子ではマンションに帰り着くまでにボロを出しかねない。

 子作りに関しては、自分の蒔いた種だからやむを得ないが、ここは車内。央輔が溺愛モードに切り替える必要なんてないのだ。

 話せばわかってくれるはず。

 央輔だって、仕事上がりにこんな茶番続けたくはないだろうし。

「あの、央輔さん。仕事で疲れてるでしょうし、もうこういうの、やめにしませんか?」
「奇遇だな。俺もそう思っていたところだ」

 杏璃が駄目元で切り出したところ、意外にも央輔から賛同が得られ肩透かしである。

「え? ホントですか?」

 思わず央輔のほうに身を乗り出した杏璃は、聞き返していた。

「ああ」

 すると央輔がハンドルを器用に片手でさばきながら屈託ない笑顔を返してくれて、杏璃の胸は不覚にもときめくのだった。

 もっと突っ込んでしっかり確認するべきだったかもしれないが、推しの笑顔に比べれば、他は些末なことだ。

 杏璃は、推しの笑顔をポカンと見つめることしかできないでいた。

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