手を、つないで
6.航



 定時を過ぎた。
 仕事が進まない。全然進まない。
 集中できない。彼女のことを思い出してしまう。
 ちょっと進めてミスをして、ミスをした自分にも腹が立って。
 幸い、今やってる作業は急ぎじゃない。いっそのこと今日はもう帰って、明日にしようか。
 そう思いつつ、とりあえずトイレに立つ。気分転換も兼ねて。
 戻って、部屋に入ると彼女の声がしている。
 姿は見えないのに。
 ついに幻聴まで聞こえるようになったかと少し焦ったら、いた。
 俺の隣の列、高井戸のところ。
 何故か知らないけど、しゃがんでいるみたいだ。高井戸と打ち合わせをしている。
 いつもの彼女のソフトな声に、真剣さが混ざっている。こういうのも好きなトーンだ。
 聞きながら、作業を始める。するっと進む。
 さっきまでの詰まり具合が嘘のようだ。
 快調に進めていたら、打ち合わせは終わったらしい。
「了解です。じゃあその方向で」
「よろしくお願いします」
 彼女が立ち上がる。
 何の気なしに見ると、目が合った。
 その途端、彼女の頬が真っ赤に染まった。
「じゃあ戻ります」
 高井戸に言った後、俺に目礼する。
 俺も目礼を返すと、彼女がぎくしゃく歩き出した。1歩進む度に、更に顔が赤くなっていく。
 もしかして、俺のせい?俺と目が合ったから、顔を赤くしてるのか?ああそういえば、さっきの給湯スペースでもそうだった。
 『助けてもらって、凄く嬉しくて、顔は熱くなってるし、恥ずかしくて』
 彼女のセリフを思い出す。
 怖がられてなかっただけじゃない。もしかして、好意を持ってもらえてるのか?
 自意識過剰じゃないのか?まさか、彼女も、俺のことを……?
 まさか、と思いつつ、彼女を目で追う。
 彼女は赤い顔のままだ。耳まで赤くしている。

 ……可愛過ぎだろ。
 あんな可愛いの、誰にも見せたくない。またもやもやが体の中に広がっていく。

「あ、中森さん」
 部屋を出ようとする彼女を、高井戸が呼び止める。わかってる、高井戸には何の意図もない。用があるから呼び止めた、それだけ。でも、こいつが彼女の名前を呼ぶだけでイラッとする。
「納品終わったら打ち上げするそうです。営業仕切りで。来週末に。空けといてくださいって、広瀬が。よろしくお願いします」
 俺には何の関係もない仕事の打ち上げ。だから俺は行けない。
 チームの打ち上げだから、そんなに人は多くない。せいぜい10人程度。
 その打ち上げで、彼女に近づく男がいるかと思うと、頭の中が沸騰しそうになる。
「わかりました」
 彼女はそう返事をして、部屋を出た。
 出て行ったドアを見つめる。

 突然思った。
 このまま何もしなかったら、一生後悔する。



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