手を、つないで
外の空気は、跳ねる心臓を少しだけ抑えてくれた……気がしただけ。ばくばく鳴り続けている。
いつ話そうか、どこから切り出せばいいのか、全くわからない。
恋愛経験はそれなりにある。でも、付き合う時も別れる時も、いつも相手から言ってきた。自分からなんて、考えたこともなかった。
それが、今回ばかりは違う。どうしてかなんて、多分考えるだけ無駄だ。違うのは、彼女だから。理屈じゃない。
隣を歩く彼女は、会社にいる時とはちょっと違う。何故かリラックスした表情。嬉しそうにさえ見える。
そんなことを思っているうちに、2つ目の信号に着いた。赤で止まる。
この信号を渡ったらすぐ駅だ。もう言わないと、着いてしまう。
口を開いたけど、声は出ない。開けたまま口を手で覆う。
信号は青になった。
とりあえず渡る。渡り切って止まる。彼女も止まっている。俺が何か言おうとしてるのに気付いて、待ってくれてる。
「あの……前に」
出た言葉は、用意していたのと違う。直前で怖気付いて、話題を変えた。
「前に、もらった、チョコ……コーヒーの」
でも、これも伝えたかったことではある。言う機会を逃し続けていた。
「おいしかったです」
彼女が目を丸くする。
「ありがとう、ございました。……あの時、いろいろ重なってて、キレそうだったんで……凄く助かりました」
言って、頭を下げる。
ふ、と彼女の息が小さく聞こえた。
顔を上げると、彼女が笑っていた。
嬉しそうに。その気持ちがこぼれ出るみたいに。
「お役に立てて、良かったです」
愛おしさが爆発しそうだ。でも爆発させる訳にはいかない。伝えなくては。1番伝えたいことを。
「あ……」
どう言えばいい。頭の中は真っ白だ。
「あの……」
準備は入念にしたはずだったのに。なんで俺はこんなに口下手なんだ。高井戸なら、営業の広瀬なら、もっと上手くいろいろ言えるだろうに。
言葉が出ない俺を、彼女は待ってくれている。
申し訳なく思って彼女を見ると、向こうから走ってくる自転車が見えた。
凄い勢いで大きくなる、てことは。
このままだと、彼女にぶつかる。
迷う時間はなかった。彼女の肩を抱いて引き寄せる。
直後、彼女のいたところを自転車が走って行った。
「……危ね……」
言って、ハッと気付く。
彼女が、俺の腕の中にいる。かばうためだったとはいえ、抱きしめている格好だ。
また頭の中が真っ白になる。心臓がばくばく鳴り出す。
「あ、あの、ありがとうございました」
彼女もこの態勢に気が付いたらしい。体を離そうとする。
勝手に腕に力が入った。
離したくなかった。
でもまだ理性が勝った。ここは路上。人目もあるし、彼女は離れようとしている。無視することはできない。
力を緩めると、彼女の顔が見えた。真っ赤だ。そうなるよな、この状況では。
「あ……すみません、咄嗟に」
謝ると、彼女は恥ずかしそうに俯いた。
「いえ、1日に2回も助けていただいて、こちらこそご迷惑をおかけして……」
「迷惑ではないです」
はっきり言った。そうじゃないんだ。俺は彼女が必要としてくれるなら、何度だって助けたい。
「全然迷惑じゃないし、むしろ嬉しいっていうか、もっとしてもらってもいいっていうか、あの……」
言っているうちに、自信がなくなってくる。俺は今何を言ってるんだ。彼女に伝えたいのは本当にそれか?
そんな意思とは裏腹に、口が勝手に動く。
「その……打ち上げ、行くんですか……」
おい、何言ってんだ。彼女だってきょとんとしてるぞ。
「打ち上げ……?」
ほら、突然過ぎてなんのことかわかってないじゃないか。
「さっき、高井戸が言ってた」
そう言うと、彼女が『ああ』という顔をした。
「多分、行くと思います。今のところ予定はないので」
そりゃそうだ。それも仕事の内なんだから。
かつて同じチームだった時もあっただろ、打ち上げは。彼女は意外と酒に強くて、でもそのうち顔がほんのりピンクになって可愛かったじゃないか。
その顔を思い出したら、また口が勝手に動いた。
「……行かせたくないって……言ったら、困ります、よね……」
また彼女がきょとんとする。
そうだよ、困るだろ。俺は何の関係もない、ただの同僚だ。
「いや、あの、仕事の内だし、行かないといけないっていうのはわかってるんですけど、その、気持ちだけなら行ってほしくないっていうか……」
ほんっと、俺何言ってんだ。
「……すみません、何言ってんだかって感じですよね」
自分に嫌気がさす。
もう駄目だ。口下手なら口下手らしく、素直にはっきり言おう。
決意と共に、姿勢を正す。
つられたのか、彼女も同じように背筋を伸ばした。
それを見たら、本当に本当に愛おしくて。
「中森さん」
彼女と目が合う。無垢な瞳に、改めて惹かれた。
「……好きです」
一番言いたいことを、やっと言えた。